阿良々木「みんなが僕のことを好きだって?」その2

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2010/03/14(日)
277 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 17:38:47.39 ID:u7NBXYmkO

その2


277 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 17:38:47.39 ID:u7NBXYmkO

「えっと、その……」
 もじもじと、教科書に顔を隠してしまう千石。

「撫子……その、よく、分からないから、暦お兄ちゃんに……」

 何かを覚悟するような一瞬の間があって。


「じ、実技指導を……して欲しいの」


「………………はいぃ?」

 今、なんか僕、物凄いこと言われてないか?
部屋に入った時に例の消去法主義で勧められ、
逆らえずにベットに腰かけているという状況も、その勘違いに拍車をかけている。




282 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 17:45:26.31 ID:u7NBXYmkO

「……実技、指導?」
「う、うん……実技指導」

 ずいっと身を乗り出して、至近距離で見つめてくる千石。

 星空を詰め込んだみたいなキラキラ光る潤んだ瞳に、
動揺する僕が映っているのさえはっきり分かった。

「暦お兄ちゃんは大人だから、きっと慣れてる、よね?」

 いや、別に、慣れてはいないけれど。




284 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 17:53:08.06 ID:u7NBXYmkO

「そ、その、千石……?」
「暦お兄ちゃん……」

 その綺麗な瞳に吸い込まれる。
ふわりと甘い香りが鼻先を擽り、吐息さえ触れ合うような距離。

 前髪を上げた千石の顔はやっぱり恐ろしいくらい整っていて、
すっと通った鼻筋や、真っ白い肌に浮かぶ鮮烈な赤い唇が、
艶めかしく言葉を滑り出させる。


「優しく、してね……?」

「………………っ!」

 前屈みになっているせいで、
だぼだぼの胸元から千石の大人しめの白い乳房とその先の――って、ノーブラかよっ!
ラフな格好ってレベルじゃねえ!

 これはさすがに見てはいけないと全身全霊をかけて反らした目線の先に。
僕は、それを見つけた。




285 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 17:54:53.24 ID:alcaYr460
最強過ぎるwww




286 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 17:58:32.00 ID:u7NBXYmkO

「あ」

 声を漏らす。
 視界の端っこで、潤んだ瞳を不思議そうに揺らす千石が、
ちょこんと首をかしげるのが分かった。

「あ、ああ、うん、分かった、千石――やろう」

 千石の肩に手を置くと、びくんと大袈裟に体が跳ねるのが愛らしい。
はっはっは、僕相手に、そんなに緊張することなんかないのになあ。

「ぁぅう……」

 真っ赤な顔で何事かを呟き、何故か目を閉じた千石に。

 僕は、言った。





「よし、やろうか――バドミントン!」




287 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:00:39.56 ID:foEYDS300
えっ?




288 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:01:45.73 ID:AYeiDplJ0
え?え?




289 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:02:33.20 ID:obZOK9BJ0
えええぇぇええぇぇぇ~~-




292 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:06:01.01 ID:rMKKnSS+0
           . ィ
.._ .......、._    _ /:/l!
 :~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、|         _
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=.  _~:、         /_.}'':,
 ``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ
 ,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:'  ノ゙ノブ   <またまたご冗談を
"   .!-'",/  `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
 .-''~ >'゙::    ‐'"゙./  ヽ.,'   ~ /
   //:::::       ',    /    ,:'゙




293 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:06:24.47 ID:u7NBXYmkO

 そう、千石の部屋の隅には、
この前来たときはなかったバドミントンのラケットと羽根があったのである。

 おそらく最近学校の授業でやっているから出しっぱなしなのだろうけれど、
千石のことだ、スポーツが得意というわけでは、決してないと思う。
そこで僕の出番というわけだ。

 簡単な話。

 千石の出した『保健体育』の教科書において、
千石の教わりたかった部分は『保健』ではなく『体育』だったのである。

 まあ、当然か。
 男の僕を軽々しく部屋に招き、
無防備な格好でその素肌を晒け出しているような千石が、
そんな性的知識を持っていると考える方が難しい。

 いやあ、恥ずかしい勘違いをしてしまった。
人見知りで恥ずかしがり屋な千石に限って、
自ら迫ってくるなんて展開は、絶対にあり得ないと分かっていたのに。




295 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:09:13.94 ID:u7NBXYmkO

「…………え?」

 一方の千石は、閉じていた瞳を開け、
ちょっとぽかんとした感じで声を上げる。

 まるで必死に勇気を出して誘惑してあとちょっとのところまでいったのに、
すんでのところで相手が訳の分からないことを言い出して
状況がまったくつかめていないような、
そんな女の子みたいに見えてしまうのは――まず間違いなく、僕の思い込みである。

 さっきの勘違いが尾を引いて、思考がちょっと不純な感じに寄りすぎだ。




297 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:15:26.21 ID:u7NBXYmkO

「……………え?」

 もう一度繰り返す千石。

「ん? だから、バドミントンだろ?そこにラケットと羽根あるしさ。
最近の授業でやってるのか?」

 言いつつ、千石の手から保健体育の教科書を受け取ると、
バドミントンのページを開く。
無意味に丁寧な絵で、サーブやスマッシュを打つ男の図があった。

「ああ、これ、懐かしいなあ。
そっか、千石は同じ中学だから、使ってる教科書も同じなのか」
「……………う、うん?」

 なんだかいまいちぼんやりしたままの千石は、ベットの縁にかけていた足を降ろし、
ぺたんとカーペットに座り込む。

「とは言ってもさ、僕だって運動はそんなに得意なわけじゃないぜ?
まあ、バドミントンくらいならそこそこはできるけどさ」
「えっと………」
「うん?」

 千石は、なぜかポンと手を打ち、何かに納得したように頷いて。




298 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:21:13.45 ID:u7NBXYmkO

「……そう、バドミントン? うん、バドミントン。
撫子、暦お兄ちゃんとバドミントンやりたかったの」
「うっし、そうと決まればさっそくやるか」
「でも、ラケット一つしかないけど」
「なんで一つしかないんだよ!?」

 ああ、そっか、一人っ子だと体育の授業くらいでしかバドミントンなんかやらないから、
複数は持ってなかったりするのか。

「でも暦お兄ちゃんなら大丈夫だよね」
「いや、さすがの僕も、それはなにをどうしたら大丈夫になるのか、全然分からねえぞ……」
「プロゴルファー猿もドライバー一本で戦ってたし」
「またえらく古いのを引っ張り出してきたな!」

 プロゴルファー猿って。
 僕らが産まれる前の漫画だろ?
 つーか僕、猿谷猿丸と同格の扱いかよ。

 ……………ちょっと嬉しい。




299 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:23:16.96 ID:bGFewC0O0
どこらへんに嬉しくなる要素があんだよww




300 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:25:31.20 ID:u7NBXYmkO

「多分、探せばお母さんとお父さんのあると思うから、探してくるね」

 そんな言葉を残して部屋から出ていく千石を見送り。

「………はぁ」

 溜め息を、ついた。

 危なかった。今のは、本当に、危なかった。
 勝手に自分で盛り上がって勘違いをして、取り返しのつかない暴挙に出るところだった。

 落ち着けよ、僕。相手はあの千石だぜ?
 あー、嫌な汗かいた。

「あっ、暦お兄ちゃん……」

 なんて動揺を隠そうとしていると、千石が部屋に戻ってくる。
 不意に先程までの出来事が頭をよぎり、自然と肩に力が入るのを感じた。




301 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:28:23.91 ID:u7NBXYmkO

「ど、どうした?」
「うん。ちょっと探すの時間かかりそうだから……」
「あ、そうか。
よし、だったら僕も一緒に探そうか」
「ううん、いいの、大丈夫だよ!
暦お兄ちゃんはこの部屋で、飲み物でも飲みながら撫子を待ってなきゃいけないんだよ!
それ以外にないんだよ!」

 ……僕は待ってなきゃいけないのか。
 それ以外にないのか。
 いよいよ強制力が強い言葉になってきたぞ、千石の消去法主義。
つーかもはや消去法の態を取れているのかすら怪しい。

 ……まあ、他人の家の物置なんて、見られたくないものが入っている可能性は否定できないしな。
僕だって、家の物置で小学生の頃の恥ずかしい作文を詰めた段ボールなんか発掘したとしても、
笑いながら懐かしめる程にはまだ大人になっていないと自覚しているし、
なんせ相手は中学生の、思春期真っ盛りな千石なのだから尚更だろう。




302 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:29:36.50 ID:u7NBXYmkO

「だ、だから、その、これっ……!」

 言って千石が差し出してきたのは、からんと涼やかな氷の音を鳴らす麦茶入りのコップ。
変に気合いが入った渡し方だったのが気になるけれど、とりあえず受け取る。

 汗をかいたコップから伝わってくる確かな冷気に、
それだけで暑さが霧撒するような気がした。

「なんか悪いな。ありがとう」
「いいんだよ、暦お兄ちゃん」

 千石は。

 いや、千石に限ってそんなことがないのは、
勿論当然のように言うまでもなく百も承知だけど、
それでもあえて言うのならば。

 照れくさそうというよりはむしろ、悪戯が成功したかのように、にっこりと笑って。

「じゃあ、撫子、ラケット探してくるよ。
暦お兄ちゃん、麦茶――絶対飲んでね」

 すっと、廊下に消えていった。




303 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:30:50.60 ID:u7NBXYmkO

「………………」

 手の中のコップを見つめる。

 いや、飲むよ。
 丁度喉渇いてたしさ。
 飲みますよ。
 飲むけどさ。

 あんなに念を押すほど、僕って千石の前じゃ遠慮してるように見えるのかな。
実際はそりゃもうそんなこと全然ないのだけれど、
もともとの彼女の性格も相まってか、千石にはやたらと気を遣わせちゃってる気がする。

 高校生が中学生に気を遣わせてどうすんだよ……。

「……ま、考えすぎか」

 そう勝手に結論を出して、思考を放棄。ゴミ箱にぽい。
僕は綺麗な琥珀色の麦茶がたっぷり入ったコップを煽った。

 焦がれた喉を通る痛みにも似た冷気に、胃が流動するのを自覚する。

 美味いなあ、麦茶。

 なんて考えながら、半分ほど飲んだ頃だろうか。




305 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:31:46.35 ID:u7NBXYmkO

「あれ……」

 なんだか頭が重い。くらくらするというか、瞼の開閉がやたらと困難になり、
思考も視点も標準が定まらず、
靄がかかったように――ああ、これ、あれだ。眠い時になる症状だ。

 寝起きの直後から続いていた緊張の糸が、どういうわけか麦茶を飲んで安心したのか、
いきなりの耐えがたい睡魔に襲われて。

「………ごめん、千石」

 ラケット見つかったら、起こして。

 泥に沈んでいくような、不思議で不自由な拘束感に負けて。


 そのまま僕は――意識を手放した。




312 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:49:05.39 ID:u7NBXYmkO
―――

「………んむ?」

 水中でゆっくりと浮上していく空気のように、意識がぼんやりと持ち上がった。

 はっきりしない視界の中で、
しかし手首と足首に感じた痛みと不自由さに、顔をしかめる。
現状を確認するまでもない、あまりに明瞭な事態に滅入りそうになった。

 首を回して周囲を確認。

 僕がいるのは相も変わらず千石の部屋で、
しかしいつの間にかベッドに寝かされていて――そして、手足が、キツく縛られていた。




314 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 18:57:41.59 ID:u7NBXYmkO

「なんだよこれ……」

 ぼんやりと呟く。

 今朝のファイヤーシスターズの襲撃よりも尚、明確に自由を奪われた状態。
寝ている間に拘束されていたという状況は、夏休みに旧戦場ヶ原から食らわされているけれど、
その戦場ヶ原は自然と候補から外れるとなると、
犯人の人と成りがまったく掴めない。
僕の知り合いに、そういうバイオレンスな発想力を持つ人間は、当然のようにそうはいないのだ。

 ところで人間は過去を振り返る生き物なので、
僕は過去、こういう不自由さを味わわされた経験を振り返ってみる――までもないか。

 大抵、怪異絡みの問題ばかりだ。

 と、なると。

「………っ!」

 ぞくりと、背筋が凍った。
まったくどうかしている。
どうしてすぐにその結論に至らなかったのか。

 怪異絡みの厄介事で。
 吸血鬼もどきである僕の自由を奪うだけの認識はあって。

 そしてここは――千石の家だ。




315 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 19:00:41.85 ID:u7NBXYmkO
「千石っ!!!」

 張り上げた大声に、喉が裂けるかと思った。
それくらい、強烈で狂乱しそうなくらいの脅威を感じる。

 これまでの情報を分析して得られる答えは、ただ一つ。

 千石が危ない。

 犯人の狙いは――千石だ。

「千石、どこだっ!!!」

 絶叫した。
 首を回しても、部屋の中に内気で恥ずかしがりな女子中学生の姿はない。

 脊髄にドライアイスを直接放り込まれたみたいな、
不愉快で不条理な、ざらざらとした目眩みたいな浮遊感。




316 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 19:02:13.36 ID:u7NBXYmkO

 くそ、いったいどれほどの時間、眠っていたのだろうか。
僕が傍についていながら、どうしてこうなった。
相手がなんなのか分からないけれど、しっかりと起きて千石の傍にいれば、
少なくとも彼女を安全な場所に逃がすことくらいできたはずなのに。

 ちきしょう。

 ちきしょう!

「千、石っ!!! どこだ、いないのかっ!!!」

 身を捩りながら放った叫びに答えた声は。

「ど……どうしたの、暦お兄ちゃん。そんなに大きな声を出して」
「………………あれ?」

 紛れもなく、千石撫子その人のものだった。




319 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 19:11:35.87 ID:u7NBXYmkO

 視線を巡らせると、部屋の入り口で怯えたように立ちすくんでいる千石の姿が目に入る。
後ろで犯人に包丁で脅されているなんて様子もなく、
相変わらずのおかしなデザインのワンピースという装いで、
怪我をしている様相も皆無だ。

 紛れもなく、いつも通りの、千石である。

 おや?

 おやおや?

 どういうことだ?

「千石……?」
「うん、暦お兄ちゃん。撫子だよ」

 暦だぜ。予告編クイズ!

 じゃねえ。

 そんなことをやっている場合じゃないし、
次回に引くほどの内容もないから予告編なんかやる必要もない。




321 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 19:18:16.74 ID:u7NBXYmkO

 えっと。

 うん。

 状況がさっぱり分からない。

「……ともあれ、千石は無事なのか?」
「うん。どうして? 何かあったの?」

 僕の質問に、千石はちょこんと首をかしげて答える。

 いや、何かあったっていうか、現在進行形で僕はどうにかなっちゃってるんだけどさ。
手足、縛られるし。
まさか見えていない訳でもないだろうから、
千石を待ってる間に僕が変な遊びを始めたとか思って、
見て見ぬふりをしてくれているのだろうか。

 大変な汚名だった。

 妹の友達の女子中学生の部屋のベッドで、
自らの手足を縛って寝転がる遊びが好きな男子高校生になんか、僕はなりたくない。




324 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 19:25:18.51 ID:u7NBXYmkO

 しかし僕が記憶障害にでもなっていない限り、
僕をこんな変態だと勘違いされかねない危機的状況に放り込んだ犯人は確実にいるわけで、
千石の様子を見る限り現在の家にはもうその姿は見えないようだけれど、
となると今度は単純な泥棒という可能性もある。
なくなった物の確認とかしなくてはならないだろう。

 まあ。

 兎にも角にも、早いところ自由を確保したい。

「千石、事情が気になると思うんだけれどさ、それは追々話すから、
とりあえずこの手足を縛っている縄をほどいてくれないか?」

 しかし、千石は。

 にっこりと、今まで見たことのないような楽しそうな笑顔で。

 短く、答えた。



「やだ」




334 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 19:49:41.70 ID:u7NBXYmkO

「……………ん?」

 今、なんて?

「それは無理だよ、暦お兄ちゃん」

 千石は、同じ笑顔のまま言った。
 無理って?

「……え、僕の側からはよく見えないのだけれど、これ、そんなに強く結ばれてるのか?」
「そうじゃなくてね」

 まるで物分かりの悪い子供を諭すような口調。

「それ、結んだの、撫子だもん。なのにそんなに簡単に、ほどいてあげるわけないよ」

「…………………ほう」

 ……………。
 ……ほほう。
 意味が分からない。

 千石が? どうしたって?

 僕を、拘束した。

 ………なんで?




336 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 19:59:52.32 ID:u7NBXYmkO

 部屋に満ちていたはずのストロベリーオーラが、
なんだかいつもと違う――あるいは妖艶とも言えてしまうような千石の様子に影響されたのか、
知らない間にラズベリーオーラに変わってしまったように思えた。
 空気に味がついているみたいな甘い部屋だったのに。
 今やなんだか呼吸が苦しい。
 ちなみにどうしてラズベリーかというと、個人的に、
なんとなくラズベリーには大人っぽいイメージがあるからだ。
どうしてだろうな。

 まあ、いいや。

 現実逃避をしている場合じゃない。

「あー、千石?
じゃあ訊くけれど、どうして僕を拘束したりしたんだ?
さすがの僕も、こんな状態でする遊びに心当たりはないぜ」

 王様ゲームを二人でやろうとする子だから、
どんなゲームをどんな風に勘違いしているのか分かったものじゃない。
ツイスターゲームは面白かったけれど。

「暦お兄ちゃんが何を言ってるのか、撫子、ちょっとよく分からないよ……」
「なんで悲しそうな顔をする……」

 ぶっちゃけ僕のほうがさっぱり分からない。
まさしく五里霧中である。




339 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 20:10:48.69 ID:u7NBXYmkO

「あ、そうだ! ねえ、暦お兄ちゃん。
撫子、ちゃんと物置で見つけたんだよ!」

 ぴょん、と跳び跳ねるようにして――そんな、およそらしくない仕草をして、
千石は言葉を放る。

「見つけた?
……ああ、ラケットか。
バドミントン、やるって話だったもんな」
「違うよ、これだよ」
「…………………」

 のこぎりだった。




340 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 20:11:49.96 ID:BpsIld6VO
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや




342 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 20:13:27.72 ID:G1GQk2tFO
こえーーーーーーーーーーーーー!!!!!




345 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 20:14:28.79 ID:u7NBXYmkO

 僕の目が、おかしくなってしまったのでないのなら。

 千石の手に握られているのは間違いなく、のこぎりである。

 金属板にジグザグの刃をつけた工具であり、主に木材や金属を切断する際に使用される。
千石の持ってきたそれは、ごくごく一般的な両刃のこぎりだ。

「……なあ、千石?
のこぎりでバドミントンは、ちょっと難しいんじゃないか」
「バドミントンは、もういいの」

 叩きつけるように言葉を重ねられる。

「じゃあ、のこぎりなんて、一体何に……」

 千石は、みょんみょんとのこぎりの刃を曲げながら、
鈍い光を反射させるそれをうっとりと眺めて口を開く。

 ああ。

 ああー。

 嫌な予感しかしない。

 で、僕は悪い予感ばっかり当たるのだ。


「暦お兄ちゃんの足を、切り落とすためだよ」




352 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 20:20:09.10 ID:u7NBXYmkO

「な………」

 戦場ヶ原がデレてからはほとんど言われる機会のなくなった、
久々なバイオレンスな発言である。

「千石、僕、ジョークでもそういうのは嫌だな……」
「ジョークじゃないよ」

 ぷう、と可愛らしく頬を膨らませて、僕の妹的存在は不満を表した。
対照的に、僕は脂汗が吹き出るのを感じる。

 ……なんだこれ。

 なんだよこれ!?

 心臓が悪い意味でばくばくして落ち着かない。

 千石の目にはいつものような怯えた風はなく、
むしろ自信に満ち溢れた妖しさを携えていた。
くいっと吊り上がる口元も、笑みらしい笑みこそ浮かべているが、
狂気と狂喜が滲んでいる。
のこぎりという凶器に反射して写る顔が、歪んで――感情の麻痺した、虫のような笑顔。




355 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 20:24:24.98 ID:u7NBXYmkO

「それにしても、予想外だったよ。
お茶に混ぜた睡眠薬、普通もうちょっと効き目が長いはずなんだけどな……」
「睡眠薬って、千石、そんなもの入れたのかよ……」

 道理でお茶を飲んだ途端に眠気が襲ってきたわけだ。

 ていうか、わざわざ睡眠薬まで用意していたとなると、この一連の流れは、
おそらく千石が電話をしてきた辺りから入念に計画されていたということなのだろう。

 嫌な寒気がして、全身の鳥肌が立った。

「やっぱり暦お兄ちゃんの吸血鬼の力なのかな。
睡眠薬が、あんまり効かないのって」
「さ、さあ……どうだろうな……」

 のこぎりを持った千石が、一歩ベッドに近付いてくる。




356 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 20:27:12.60 ID:u7NBXYmkO

「ちょ、ちょっと待て、千石! 落ち着け、な?」
「撫子は冷静だよ」
「のこぎり持って言われても闘争本能剥き出しにしか見えない!」
「撫子は冷戦だよ」
「冷酷すぎるっ!」

 このタイミングでその台詞は怖い。

 水面下で火花バチバチじゃねえか。

「り、理由をきかせてくれよ、千石!
なんでこんなことするんだ、僕の足なんか食べても絶対美味くないぞ!」
「た、食べたりなんかしないよ……暦お兄ちゃんは面白いことを言うよね……」
「そいつはどうも!」




359 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 20:30:26.46 ID:u7NBXYmkO

 すると千石は――気付けばもうベッドの傍に立って僕を見下ろしていた千石は、
その瞳に鈍い光をぎらぎらとさせながら、口を開いた。

「だ……だって暦お兄ちゃん、足がなかったらずっと撫子のところにいてくれるでしょ?」

 だから切り落とすんだよ、と。

 さも当然のことのように、犯行の動機を告げる。

「あ……え……?」




362 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 20:34:43.20 ID:u7NBXYmkO

「ううん、分かってるの。撫子、本当はちゃんと分かってるんだ。
暦お兄ちゃんには彼女さんがいるんだよね。
とっても綺麗な人なんだよね。
それに、神原さんみたいなすごくかっこよくて魅力的な後輩さんもいるし、
えっと、なんとかさんっていう委員長さんとも仲がいいって聞いたよ。
ららちゃんと火憐ちゃんにも、撫子じゃ全然適わないし……諦めるしかないと思ってた。
だけどね、撫子、それでも暦お兄ちゃんのこと、諦めたくないの。
だからどうすれば暦お兄ちゃんを、撫子だけの暦お兄ちゃんにできるか考えてたんだよ。
必死で考えてたら、そうしたら……閃いたんだ。
他の女の子に勝てなくても、暦お兄ちゃんをもう二度とここから出れないようにしちゃえば、結局独り占めできるって。
あはは、そうだよ、暦お兄ちゃんは撫子だけの暦お兄ちゃんになるんだよ。
嬉しいな。暦お兄ちゃんも嬉しいでしょ?
だから、他の女の子に会いに行く足なんかいらないよね。
だから切り落とすの。そうだ、他の女の子に今まで触ってきた手もいらないから切り落としちゃっていいよね。
……え? 大丈夫だよ、撫子、止血の仕方も、保健の授業でちゃあーんと勉強したし。
あ、でも暦お兄ちゃんは、吸血鬼だから、切っても治っちゃうんだよね。
任せて、手足が伸びてくる度に、撫子が元の長さに切り揃えてあげる。
お食事とかおトイレとかのお世話も、全部全部ぜぇーんぶ撫子がやってあげる。
撫子、暦お兄ちゃんのだったら全然嫌じゃないよ。
ほ……本当だよ? うん。だからね、暦お兄ちゃんはずっとこの部屋で、
撫子だけの暦お兄ちゃんとして生きればいいの。
撫子だけを好きでいてくれれば、一生一緒にいられるんだよ。
幸せだね。えへへ」




371 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 20:43:22.85 ID:u7NBXYmkO

「………、……………」

 …………………。

 …………………。

 …………………。

 絶、句。

 まるで千石が千石でないような、
息をつく暇もないマシンガントークで繰り出された感情の吐露に、
理解がついていかない。

 えっと。

 千石が僕に睡眠薬を飲ませて。

 どこにも行けないように、足を切る?

 ………はい?




372 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 20:49:01.75 ID:u7NBXYmkO

「じょ、冗談はよすんだ、千石。
意味が分からないし、笑えない。
戦場ヶ原や神原や羽川が、どうしたって?」

「撫子以外の女の名前を口にしないでよ暦お兄ちゃんッ!!!」

 叫んだ。

 千石撫子が、絶叫した。

「お……お前、そんなでかい声出せたのか……」
「暦お兄ちゃんのためなら撫子、大きな声も出すよ。
もう、せっかくこんなに説明してもまだ彼女さんの呪いは解けないんだね」
「の……呪い? なんの話だよ」
「でも心配しないで、撫子が暦お兄ちゃんを助けてあげる。
暦お兄ちゃんの足を落としたら、
きちんと彼女さんも神原さんも委員長さんもららちゃんも火憐ちゃんも――みんな仲良くあの世に送ってあげるの。
そうすれば、暦お兄ちゃんももう間違わなくて済むよね?」

 よかったな、八九寺。
 お前は安全みたいだぞ。
 って、もう幽霊だっけか、あいつ。
 あっはっは。

「笑えねえー……」

 つまらない冗談だった。




376 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 20:54:39.77 ID:u7NBXYmkO

 それに――くだらない状況だ。

 千石に何があったのか知らないけれど、明らかに、普通じゃない。
まともじゃない。
何か大変な勘違いとか、洗脳とか――あるいは、怪異とか、そういったものの影響さえ見え隠れする。

 だったら。

 だったら兄的存在の僕が、それを正してやらなくて、一体どうするというのだ。

「あのな、千石」
「すぐに終わるから待っててね」
「いや、あの……千石……さん?」

 ぴたりと、のこぎりの刃が左脚の太股に乗せられた。
ジーンズ越しに、ざらざらとした痛覚が弾ける。




378 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 21:00:45.94 ID:u7NBXYmkO

 春休みから始まって、つい先日まで続いていた夏休みの間。

 実は僕、阿良々木暦は、
足から下が無くなるなんていうような怪我は数えきれないくらいに負っている。
腕だって何度も吹き飛んだし、
それどころか首から下がぐしゃぐしゃになったことだってあるのだ。

 しかし、それらはすべて、吸血鬼としての回復能力にかなり依存していた時期の話で。

 僕が最後に忍に血をやったのは、もう十日以上前。
 となると、現在の僕の回復能力は、まだ重度の火傷くらいなら一瞬で治癒する程度にはあるものの、
さすがに四肢をすべて切り落としたら再生する前に出血多量で生命活動が停止するのは間違いない。
千石は止血の勉強をしたとは言ったが、一体全体どこの保健の教科書に、
達磨になった人間に有効な止血方法が載っているというのだ。

 ぞわぞわと、明確な命の危機に寒気が沸き上がる。




380 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 21:05:48.52 ID:u7NBXYmkO

「いくよ、暦お兄ちゃん」

「……ぃ、………っ!」

 ぎりぎりぎりぎりという音と不快な肌触りを残して、
のこぎりが千石の手前に引かれた。
まだほとんど身体には到達していないが、
ジーンズが一瞬にしてイケてない感じダメージ加工されてしまっている。

 やばい。

 マジでやばい。

 ちょっと漏らしそう!

「千石、た、頼みがある!」
「うん? 何かな、暦お兄ちゃん」
「あ、ああ……あー」

 咄嗟に叫んだ僕の声に、千石は動きを停止。
 僕は必死で頭脳をフル回転させる。

 何か。
 何かないのか。
 うまい言い訳の種になるようなことは……。

「時間稼ぎのつもりなら、撫子、作業を始めるよ?」




383 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 21:08:31.05 ID:0XvRMGRY0
うおぇーミザリー思い出した




387 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 21:12:10.18 ID:u7NBXYmkO

「す、……そうだ、睡眠薬!
千石、さっき僕に飲ませた睡眠薬って、まだあるのか!?」
「う、うん。あるけど、なんで?」
「その、なんだ。
僕もさ、千石に管理されて生活するのには不満なんてないのだけれど、
やっぱり足を切り落とすのは怖いんだ。
体の一部を無くす恐怖は、どんなに経験しても慣れるものじゃないしさ」
「……………」

 いぶかしむような視線。

 千石のこんな表情を見れるのはレアだけれど、
出来ればもっとまともなシチュエーションで見たかったな。




389 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 21:16:05.51 ID:u7NBXYmkO

「だからさ、その……睡眠薬を僕に飲ませてくれないか。
眠ってる間に千石が手足を切ってくれるんなら、ほら、僕は怖くないだろ?」
「うーん………」

 千石は、しばらく悩むように首をかしげてから、ゆっくりとのこぎりを持ち上げた。
同時に、じくじくと嫌な痛みから解放。

「いいよ、暦お兄ちゃんのお願いだもん。撫子が断る理由なんかないよ。
暦お兄ちゃんが撫子に管理されたいって言ってくれて、きゅんってしちゃったし」

 ぱたんと、ちょっとだけ血のついたのこぎりをテーブルに置くと、
ぎちりという効果音が似合いそうな、歪んだ笑顔を浮かべる。

「じゃあ持ってくるから、暦お兄ちゃんはおとなしく待っててね。
ううん、暦お兄ちゃんはここで待ってる以外にないんだよ。
だから――」

 そう、だから。

「だから絶対、逃げちゃダメだよ?」

 そう言い残し、千石は部屋を出ていった。




391 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 21:23:59.24 ID:u7NBXYmkO

「…………ふう」

 息をつく。

 逃げちゃダメ、らしい。

 無論。

 逃げないわけが、ないのだけれど。

「おい、忍。寝ているかもしれないけれど、大至急起きてこの紐なんとかしてくれ」

 すぱん、と。
 「大至急起きて」の辺りまで言い切るより早く、手足の自由を奪っていた紐が見事に切れていた。
 ずっと起きてたんじゃねえか。

「………サンキュ、忍」

 起き上がりながら呟いて、影を撫でる。


 さあ。
 本日二度目の、窓からダイブで大脱出だ。




394 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 21:33:36.18 ID:u7NBXYmkO

 006

「はぁ……はぁ……」

 裸足で走るコンクリートは、たまらなく痛いし、
どうしようもなく熱いし、
言うまでもなく不愉快だった。
だけど走る。千石の家からちょっとでも離れて安全を確保するまで、走り続ける。

 さっきまで兄的存在の僕が助ける、
とか格好つけてほざいていたけれど、千石、ごめん。
もうちょっと待っていてくれ。

 そもそも、千石がおかしくなった原因に心当たりがありそうなやつか、
あるいはそういう方面に詳しいやつに話を聞かないと、
なんの知識もない僕には何も出来ないのだ。

 千石がおかしくなった原因。

 そして、そういう方面に詳しいやつ。

 怪異ならば――忍。

 それ以外なら――羽川か。




396 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 21:37:50.38 ID:u7NBXYmkO

「とにかく、まずは、安全な場所まで……」

 と思いながら走っていると、なんとも都合のいいことに、
前方に見慣れた後ろ姿を見つけた。
ちょっと遠くて吸血鬼補正に頼らないと見えないが、
この僕が彼女の後ろ姿を見間違えるわけがない。

 なぜなら、彼女は、僕の命の恩人だから。

 一生かかっても返しきれないような、そんな恩がある相手だから。

 しっかし、相変わらず、休日だっていうのに制服である。
 長い三つ編みだった髪は今や肩口で揃えられて。

 僕は声を張り上げる。

「おーい、羽川!」

 そう、羽川。

 羽川翼。

 猫に魅せられた少女。




401 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 21:47:39.48 ID:u7NBXYmkO

 僕の知る限り、最高峰の知識を持つ彼女は――頭の上に生えた耳を、ぴくりとこちらに向けて。

 …………ん?

 段々と距離が詰まり、もう吸血鬼補正に頼らなくてもはっきりと彼女の姿が見える。

 頭の上に――白い、猫耳。

 真っ黒なはずの髪の毛は――強烈に脱色されたように、白銀。

 振り向いた羽川が、くいっと口元を歪めるような、
だけどどこか能天気で楽しそうな顔をして、言った。

「にゃははは――にゃんじゃ、人間。
ちょうど俺の方から会いに行こうと思っていたのに、
人間の方からわざわざ食い殺されに来るだにゃんて、にゃんと殊勝なやつだにゃん」

「……………………」
 ………………。

 うそーん。




402 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 21:48:49.81 ID:eHm+pmra0
ブラックか……




405 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 21:53:58.22 ID:u7NBXYmkO

 ブラック羽川――だった。

 ブラック羽川。

 障り猫に魅せられた羽川が生み出した、羽川の裏の人格。

 羽川の抑制された欲望――いや、ストレスの体現者。

 多重人格。

 羽川翼の対照図。

 黒くて悪い――羽川翼。

 一度目は夜な夜な暴虐の限りを尽くして二人の入院者を出し。
 二度目は怪異との関わり方を僕に忠告した。
 今まで僕の出会った怪異の中でも、危険度としては、吸血鬼の次を誇る。

 そんな――もう現れるはずのない、怪異。




406 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 21:58:50.67 ID:u7NBXYmkO

「ブラック羽川あああああああああ!!!!」

 全速力で、ブラック羽川に向かって走る。

「にゃはっ、にゃんじゃ人間っ!!」

 迎えるように手を広げ、障り猫も走ってきた。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

「そんなに焦るにゃよ! ごろにゃん!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

「俺も会いたかったにゃあっ!!」

 僕らの距離はほぼゼロへと迫り。

 がばっと飛び付くようにして、地面を蹴ったブラック羽川に。

「うおりゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

「ぎゅ!? にゅ、……にゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」

 思いっきり、ラリアットをぶちかましてやった。




408 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:06:12.38 ID:alcaYr460
なんというハイテンションwww




409 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:06:14.01 ID:u7NBXYmkO

「はあっ……はあっ……!」

 少し勢いを殺すために前進を続けた後に立ち止まり、振り返る。
ちょうど椅子に座ったままで空中に放られたみたいな体制になっていたブラック羽川が、
べちゃっという音を立てて頭から地面に落っこちるところだった。

「ふぎゃっ!?」

「………………」

 動かない。
 ブラック羽川は、動かない。
 地面に寝たまま、動かない。

 そろそろと近付いて顔を覗き込むと、
そこにはおよそ羽川らしからぬ不細工な顔で完全にノびているブラック羽川がいた。

「………………やべえ」

 なんか変なテンションだったからって、羽川に全身全霊でラリアットしちゃった☆ミ

「…………いや」

 しちゃった☆ミ じゃねえよ。
 マジでどうすんだよ。
 人格矯正技術を物にしてからというもの、羽川、マジで怖いんだぞ……。




410 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:15:15.74 ID:vH2MRRx7P
ちょwwwww




413 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:17:15.71 ID:u7NBXYmkO

「…………………」

 ま、いっか。

 相手はブラック羽川だしな。
 ブラック羽川の間の記憶は、羽川本人には残らないしな。
 言わなきゃバレないだろ。
 なんとかなるさ。
 最悪、羽川に人格矯正されるだけだし。

 薄くて弱い阿良々木から、白くて正しいホワイト阿良々木に生まれ変わるくらいである。

「あっはっは――じゃねえよっ!」

 そうじゃねえよ!

 なんか動揺して一人で高笑いしちゃったよ!

 完璧に痛い人じゃん!

「そうじゃなくて、問題は……」

 どうして、ブラック羽川が現れたのか、だ。
 夏休み前の一件で、羽川は障り猫を飼い慣らすことが出来るようになったはずなのに。




416 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:20:59.36 ID:u7NBXYmkO

「…………ふむ」

 冷静になって見れば、朝のファイヤーシスターズの時点で気付くべきだったのだろう。
戦場ヶ原は……まあ、いつも通りぶっ飛んだ蕩け方をしていたけれど、
言われてみれば八九寺も神原もどこか様子がおかしかった。

 しかし僕は、ここにきて。

 千石撫子と羽川翼の豹変という圧倒的な日常の軋轢をもってして、
初めて、ようやく、やっとのことで、理解した。

 今の僕の状況を的確に表現する言葉を、僕はたった一つだけ知っている。
 正直、もう聞き飽きて耳にタコかもしれないが。
 しかし僕はあえて、偉大な先人に敬意を示し、引用させてもらうことにしよう。

 熱気の駐留した空気を吸い込み。

 残暑のコンクリートで寝転がるブラック羽川を見下ろしながら。

「何かおかしい――なんとなく、そんな気がした」

 もう8月は、とっくに終わったはずなのに。




418 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:26:43.40 ID:u7NBXYmkO

 ともあれ、羽川がこんな調子な以上、頼る相手は一人しかいない。
 まあ、僕としては、いつでもすぐそこにいるこいつに頼むのが、
一番楽っちゃあ楽なんだけれど。
 後々何か要求される可能性を考えると、
ちょっとそう簡単に頼りたくもない。

「仕方ないか」

 こつこつと、足元に出来た強烈な黒色を爪先で小突く。

「忍。起きてんだろ? ちょっと出てきてくれよ」

 ずぅるりと。

 あるいは艶めかしいほどの非現実さを撒き散らしながら、
僕の影から金髪の美幼女が現れて。
 やや舌足らずな声で、尊大に言い放つ。

「なんじゃ、騒がしい。
よいか、お前様。儂とお前様の感覚はリンクしているとついこの間教えたばかりじゃろう。
だっていうのに今日は一日、朝から心臓をばっくばっくばっくばっくさせおって――おちおち昼寝もできんわ」

 かかっ、と笑う。




422 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:30:29.71 ID:u7NBXYmkO

 見た目は八歳児、頭脳は数百歳という、
どこぞの名探偵を高跳びの如く越えていけそうなプロフィールを持つこいつは、
ご存知、忍野忍である。

 吸血鬼――の成れの果て。

 吸血鬼――の搾り粕。

 身も凍るような美人で。

 鉄血にして。

 熱血にして。

 冷血の吸血鬼――怪異の王。

 僕を殺し――僕が殺した吸血鬼だ。

 いろいろと紆余曲折を経て、現在の忍と僕は、
こうしてコミュニケーションを取るくらいには歩み寄りを見せている。




424 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:32:29.10 ID:u7NBXYmkO

「ああ、そいつは悪かったよ」
「ま、ミスタードーナツ5つで許そう」
「5つも食うのかよ!」

 なにちゃっかり変な約束を取り付けようとしてんだ。

「なんじゃ、5つじゃ不満か。
仕方ないのう、お前様がそういうのであれば儂も譲歩して、
10個で手を打つのもやぶさかではないぞ」
「なんで譲歩しておいて増えてんだよ!
そしてなぜ僕が我が侭を言ったみたいな言い方をするのかさっぱり分からねえぞ!?」

 とりあえず突っ込んで、と。

「状況は分かってるだろ、忍。
お前が人間の味方じゃないのは分かっているけれど、それでもあえて頼む。
お前の力を借りたい」
「ふむ……」

 小さな顎を、尊厳な動作で引き。

「確かに儂は人間の味方ではないが――少なくともお前様の味方ではある」

 忍は、金色の瞳をちょっと優しげに細めて言った。




425 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:34:17.45 ID:u7NBXYmkO

「だったら……!」
「しかし、お前様が何を訊きたいのか儂には分からぬ。
巨大な妹御と極小の妹御の暴走?
蝸牛の娘の動揺?
エロ娘の羞恥か、照れ娘の乱心か、はたまたそこの元委員長のくそ生意気な飼い猫の話かの」
「……とりあえず突っ込んでおくけれど、
羽川は元じゃなくて今も委員長だ」
「どうでもよい」

 ソウデスネ。

 一蹴された。

 瞬殺だ。




426 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:35:39.28 ID:u7NBXYmkO

「まあ、いいか。
とにかく忍、とりあえず最初に僕が訊きたいのは、その全部だよ。
今日のみんなが何かと様子がおかしかったのに、怪異が関係あるのかないのか。
ひとまずそれだけでいい」

 それが分かるだけで、これからの対処の仕方が変わってくる。

「お前になら、分かるだろ?」
「……単刀直入に言えば」

 僕の言葉に、さらりと流れるような声色で。

「ちょっと前から、不味そうな飯の匂いはしておった。
あまりに微弱で品がないから、放っておいたがの」
「つまり」
「あの娘御たちに関係があるのかは知らぬが――少なくとも、
今この町で悪さを働いている怪異はいるということじゃ」

 怪異。

 怪しくて、異なる。

 春休みから散々苦しめられて、散々困らせられた存在が、性懲りもなくまた存在している。




431 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:40:17.35 ID:u7NBXYmkO

 一度怪異に曳かれた者はそれからも怪異に曳かれやすくなるとは、忍野の言葉だ。
怪異は、認識の差で生じるものなのだから、
知っている者のところに生じやすくなるのはある意味当然ではある。

 しかし、こんな時に忍がいてくれてよかった。
 忍野から怪異についての知識を託された、元怪異の王。
 彼女が正常に機能しているのなら、話は早く片付く。

 僕は安心して、忍に声をかけた。

「ああ、そうだ。忍、さっきはありがとな。手足の縄切ってくれて」

 あれは勿論僕の秘められた能力が突如として覚醒したわけではなく、
僕の影に潜んだ忍が、影の中から切ってくれたのである。
 どうせ厭味の一つでも言われるだろうけれど、
お礼を言わないわけにもいかないと口にした言葉に、
忍はしかし、やたらと爽やかに微笑んだ。

「なあに、気にするでない。
あれはお前様の為ではなく、この儂の――私欲の為じゃ」
「……私欲?」
「うぬ。
儂の大事なあるじ様であるお前様を、
あのような気の違えた小娘如きに、
そうそうくれてやるわけにもいくまいよ」




429 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:40:02.38 ID:3FsN89oa0
チラッと思ったこと言っていいか?
本当にチラッと思っただけなんだが

怪異ってのはただそこに在るだけで
悪さを働いてるとは言わないんじゃないかな支援




434 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:44:03.41 ID:u7NBXYmkO
>>429
oh...
それもそうだ、焦りすぎたかな
今回は撫子のところで阿良々木さんが露骨に迷惑を被っているから
あえて忍がそういう言い回しをしたってことにでもしといてくれると助かる




436 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:47:16.33 ID:u7NBXYmkO

「……………なんて?」

「うん? なんじゃ、聞こえんかったのか。まったくお前様は本当に仕様がないの。
じゃが、まあ、そんなちょっと腑抜けた所もお前様の魅力ではあるか」

 なかなか恥ずかしいことを言ってしまったの、と頬を染める忍。




438 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:48:08.43 ID:u7NBXYmkO

 目眩がした。

 もう無理だ。

 もう我慢の限界だ。

 僕は大きく息を吸い込んで――叫んだ。


「お前もかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」


 鉄血にして熱血にして冷血の元吸血鬼。

 不味そうで品がない怪異に、あっさり陥落してんじゃねえか。




441 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 22:59:15.62 ID:u7NBXYmkO

「もういい、忍!
ありがとうな、だからお前はもう影に入れ!」
「なんでじゃ。せっかく昼に起きたのじゃから、
儂としては愛しいお前様とミスタードーナツデートをご所望なのじゃが?」
「うるせえ! なのじゃが? じゃねえんだよ、デレんな!
お前はルックスが飛び抜けすぎてんだから、
デレると反則級に可愛いんだよ、ちきしょうがっ!」
「可愛いだなんて……もっと言ってたもれ」
「その口調はなんかキャラが違う!」

 何かと混ざってる。
 配合相手は知らないけど。




444 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 23:01:06.61 ID:7gbf0q2sO
おじゃる丸ですね分かります




445 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 23:05:43.51 ID:u7NBXYmkO

「いいからさっさと影に帰れよ、頼むから! もう面倒くさいんだよ!
大体、対怪異に関しては最高の特効薬のお前があっさりやられちまったら、
僕もう打つ手なしじゃねえか、ふざけんな!」

「失礼なことを言うでない、儂は怪異なんぞにやられてなどおらんわ!
もっとも、お前様の魅力にはとっくにやられておるがの!」

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 やめてくれ! 頬を染めてそんなことを言わないでくれ!

 くっそう、相手は外見八歳児なのに!
 間違いを犯してしまいたいっ!




449 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 23:19:43.75 ID:u7NBXYmkO

「仕方ないの。お前様よ、儂のロリロリボディに魅力を感じないのなら、
儂に血を飲ますのじゃ。
15歳でも、20歳でも、お前様の好きな年齢の身体になってやろう」
「…………ゴクリ」

 キスショットフルパワーバージョン時の、あの破壊的な胸を思い出す。

 あれは、やばいよなあ。

 マジでやばいよなあ。




450 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 23:24:05.85 ID:u7NBXYmkO

「い、いやいやいやいや!」

 騙されちゃいけない。
阿良々木さんはそんな簡単に流される男じゃない。

「朝っぱらから妹御に対して下腹部を反応させておった男が何を言うか……」
「そんなことを今更言うな、不可抗力だ!」
「ほうら、お前様。
八歳児のスカートたくし上げを見たくないわけあるまい?」
「やめなさい、はしたない」
「むう……」

 本当にスカートの裾を持ち上げだした忍の手を叩いた。
デレ忍は可愛いし、その可愛さには間違いのボーダーを越えたくもなるけれど、
さすがに八歳児のお色気には欲情しない。

 つーかお前、そういうのどこで覚えてくんの?




451 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 23:24:39.57 ID:eALTM32cO
ロリロリボディwww




453 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 23:32:33.43 ID:u7NBXYmkO

「忍、いい加減に影に入らないと僕はこのまま全速力で走るぞ」

 忍野忍は、僕の影に縛られている。

 つまり日中の屋外、他に影のないこのような場所で僕が走ると、
影から出れない忍はそのまま引っ張られて地面を引き摺られることになるのだ。
プライドの高い忍にとって、最高の屈辱であろう。

 それに対して金髪美幼女忍ちゃんは、ちょっとだけうつ向いて。

「かかっ、なるほどの、そういうSMプレイか。
お前様にはそんな趣味があったのじゃな」

「…………………」


 全速力で、走った。




457 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 23:38:24.92 ID:u7NBXYmkO

「あ、ああっ、痛っ! ちょ、待つのじゃお前様、ちょっとした冗談じゃろう!?」

 あまりに必死な叫びに、立ち止まって振り返る。
ざりざりと地面を擦られた忍が、涙目になった尻餅をついていた。

「………ぐすっ」
「あ、ごめんな、忍。ちょっとやり過ぎた」
「……お前様が望むなら、儂にはこんなSMプレイだって快感じゃ」


 全速力で、走った。

「あ、あぅっ、……いた、いたたたた、石が、石が当たっ……ぅあっ!? ひゃ、ひゃあんっ!?」




466 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 23:51:39.04 ID:u7NBXYmkO

「こんな世界もう嫌だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 もう、どこに向かって走っているのかも分からなかった。

 忍の声が止んで、どうやら影に戻ったらしくても、僕は走り続けた。

 羽川をラリアットかましたまま放置してきたことも、すっかり忘れた。


 怖い。

 女、怖い。

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああん!!!!!!」




461 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 23:44:09.16 ID:BTY8g7BH0
影にくっついたままだったっけ?
ミスドの店じゃ、普通にいられたんだから、くっついてるわけじゃなかろうに




467 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/20(土) 23:53:28.72 ID:u7NBXYmkO
>>461
屋内みたいな常時影がある場所は自由に動けるけど、太陽の下では阿良々木さんの影の上(下?)でしかいられない
だから自転車に乗るときは阿良々木さんが前屈みになれば影がつくれる籠に乗るし、
家の前で斧乃木余接に阿良々木さんが飛びかかったときは引き摺られた
みたいな感じだったはず
間違ってたらこのSSではこういう設定ってことで許してください><




469 : ◆2iyjsiunz/4e :2010/02/21(日) 00:02:59.45 ID:tqPZ4U+DO
―――

 気付けば僕は、かつて忍野が住処にしていた元学習塾の廃墟へと戻ってきていた。

「………はあ」

 朝に来た時に隠しておいた寝間着があることを確認して。

「どうしよう……?」

 頭を抱えてしゃがみこんだ。

 怪異がいる。
 この町には今、怪異がいる。
 だけど――忍は頼れない。

「どうしろってんだ……」




470 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 00:04:09.60 ID:tqPZ4U+DO

 僕はこれまで、いくつもの怪異に出会ってきた。

 鬼。
 蟹。
 牛。
 猿。
 蛇。
 猫。
 蜂。
 鳥。

 だけど果たして、本当に誰の力も借りずに解決するようなことが、出来ただろうか。

 答えは――否だ。

 僕の周りには、いつだって誰かがいた。
 いてくれた。
 だからなんとかなってきたのだ。




471 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 00:06:37.69 ID:tqPZ4U+DO

 のこぎりに切られた、ジーンズの裂け目に触れる。
その奥にある肌は、もう傷も残っていないけれど――あの時触れたのは、明確な死だ。
 あのままだったら、死んでいたのだ。

 おかしくなってしまった千石も、助けられずに。

 そうだ、千石を助けなくちゃ。助けなくちゃ――いけないのに。

 立ち上がれない。
 僕一人じゃ――何も出来ない。

「どうすりゃいいんだよ……忍野……」

 思わず口をついて出た弱音。
 それに。
 応えたものが、あった。


「そんなところで一人で頭を抱えていたって、僕は誰も助けてなんかくれないと思うよ」




476 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 00:16:24.89 ID:tqPZ4U+DO

 一瞬硬直した後に、ゆるゆると、恐れるように顔をあげる。
 そこに、いたのは。

「なっ……」

 驚きで、思考が止まった。

「お前、どうして……!」

 オレンジのドロストブラウス。
 可愛いデザインのティアードスカート。  淡々とした、真っ平らな更地を思わせる無表情。


「――僕はキメ顔でそう言った」


 かつて阿良々木月火の上半身を吹き飛ばし、
僕の血を飲んだ忍野忍に叩き潰された式神。

 斧乃木余接が、そこにいた。




480 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 00:24:14.08 ID:tqPZ4U+DO

 007

 斧乃木余接が式神である以上、彼女が一人でこの町に戻って来たということ、普通は考えにくい。
 というわけで、いつも忍野が居座っていた四階の一番左端の――夏休みのバトルパートで、
床の中央にドでかい風穴が空いてしまっている教室では、
体の軸が恐ろしく直線的な女性が、恐ろしく真っ直ぐな姿勢で立っていた。

 ダークカラーのパンツルックに、ストライプの入ったシャツ。
相変わらず、小学校で国語でも教えてそうな印象だ。

「久しぶり……でもあれへんな。まあでも、他にええ挨拶も見当たらんし――久しぶりやな、鬼畜なお兄やん」

 影縫余弦。

 あくなき現代の陰陽師。

 斧乃木余接と合わせて、怪異転がしと呼ばれるツーマンセルは、不死身の怪異の専門家である。




483 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 00:29:32.83 ID:tqPZ4U+DO

「あんたら……なんでここにいるんだ」

 ぐっと腰を落として、腹の底から声を絞り出す。

 不死身殺し。

 この町にいる不死身の怪異で、
彼女たちのターゲットになりうる不死身の怪異は――阿良々木月火くらいなはずである。
 くそ、なんで忍が使い物にならないこんな時に、この二人が町に来るんだよ。
 ギリギリまで吸血鬼に戻っても、影縫さん一人にすらまったく歯が立たなかった僕が、
今のほぼ人間に近い状態で2対1なんかやったら、文字通り瞬殺である。

 それでも、戦わないわけにはいかない。

 怪異転がしの目的が――月火ちゃんなら。

 兄として。

 阿良々木暦として。




485 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 00:31:52.07 ID:tqPZ4U+DO

 ところが、ぐっと拳を握った僕の背後で、
斧乃木ちゃんの無機質すぎて、およそ生物っぽさを感じさせない声が鳴る。

「鬼のお兄ちゃん。
そんなに構えても、今回僕たちは仕事で来たわけじゃないから大丈夫だよ
――僕はキメ顔でそう言った」
「…………………」

 やっぱり語尾うぜえ。
 ちらりと振り返ると、案の定真顔だし。
 徹底しろよ、いろいろと。

「ま、そーゆーことやから」
「な……」

 一瞬のうちに目の前まで接近しついた影縫さんが、
そう呟いてから僕の耳元に口をよせ、撫でるように息を吹き掛けながら囁いた。




487 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 00:35:28.39 ID:tqPZ4U+DO

 斧乃木ちゃんに聞こえないように配慮したのか、色っぽい京都弁が耳にかかる。

「正直に言うとな、リハビリやねん」
「………リハビリ?」
「そ。ほら、余接、前に来た時、例の怪異殺しに、こっぴどぉくやられたやん?
あれがトラウマになってしもうたみたいで、以来ずっと調子が悪いんよ」
「で、ここに連れてきたんですか」
「せや」

 にっこりと、思わず見とれてしまうような可愛らしい笑顔で言う影縫さん。

 ……いや、それを言ったら僕だって、あんたにボコられて割とトラウマなんだけど。
今までいろんな人にボコられてきたけれど、
20ページ以上を使って僕のことを延々と殺しまくったのはおそらく影縫さんだけである。

 つーか、影縫さん。斧乃木ちゃんのトラウマ解消のために、
斧乃木ちゃんがトラウマを作った場所に連れて来てどうすんだよ。
正直、ショック療法だろう。

 いいけどさ。
 他の家庭の教育方針なんか、どうでも。




493 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 00:42:43.91 ID:tqPZ4U+DO

「で、鬼畜なお兄やんは何をそんなに悩んでるん?」
「は?」
「せやから、さっき入り口で頭抱えとったんやろ?」
「……なんで」

 知ってるんですか、と言いかけて、堪えた。
そうだ、斧乃木ちゃんは、影縫さんの式神なのだ。
言葉を介さずとも意思疎通を図る術なんて、ないと考える方がよっぽど不自然で、不可思議だった。

「…………えっと」
「おらおら、お兄ちゃんよお、さっさと話して楽になっちゃえよ――僕はキメ顔でそう言った」
「……………………」

 殴りてえ。

 返り討ちにあって即死だけれど。




495 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 00:48:29.82 ID:tqPZ4U+DO

「これでも、鬼畜なお兄やんよりは人生の先輩や。
つい最近殺し合った人間を信用なんかでけへんのも、分かるけどな」

 影縫さんは、すっと距離を離しながら陽気に言う。

「ま、これもなんかの縁やろ。
殺し合ったのも――こうして再会したのも。
そら話したくないならしゃーないけど、話して損はさせんよ」
「……相談料とか言って後から金とったりしませんよね?」
「そんなこと、この僕たちがするわけないじゃん
――僕はキメ顔d「かかか、貝木くんやったらやるんやろなあ、そういうセコい詐欺」
「キ、キメ顔で……」
「あ、すまん、余接」
「…………………」

 こいつら息合ってねぇー。

 すっげえ不安だ。

 一応シリーズ通して、既刊の中ではラスボスの立ち位置なんだから、
もうちょっと威厳のあるキャラを演じてほしい。




498 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 00:55:21.97 ID:tqPZ4U+DO

 しかし、影縫余弦と斧乃木余接。

 怪異関係の専門家であることは、間違いない。

 誰にも頼ることのできない現状において、
彼女たちとの再会は渡りに船であるとも言えた。

「あの、影縫さん」

 僕が言うと、非常に人懐っこい猫みたいな笑顔を浮かべる。

「うん?」
「じゃあ、ちょっと――話を聞いてもらえますか」





500 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 00:58:15.18 ID:tqPZ4U+DO
―――

 で、事の一部始終を語り終えると。

「……なるほど」

 影縫さんは神妙に頷き、僕の目を真っ直ぐ見つめて。
 答えた。

「さっぱり分からへん」

「あー……ああ?」

 散々語らせといて、今、なんつった?

「余接はなんか引っかかるとこ、あったか?」
「途中から興味がまったく無くなったから、全然聞いてなかったよ――僕はキメ顔でそう言った」

 当然のように無表情である。

 決めた。

 こいつぶん殴る。

 絶対ぶん殴る。



554 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 08:51:10.41 ID:tqPZ4U+DO

「僕とやりあうつもり?
僕は別に構わないよ、鬼のお兄ちゃん。
なんならハンディもつけてあげようか
――僕はキメ顔でそう言った」
「………やらねえよ」

 逃げた。

 いや、だって、勝てないし。

 今の僕がこいつ相手にしたら絶対に死ぬし。

「なんや、鬼畜なお兄やん、チキンやなぁ」
「生身でコンクリートの床ぶち抜ける人と比べないでくださいよ……」
「あんなもん気合いやん」
「んなわけあるかっ!」

 気合いって言っとけばすべて解決する時代は終わったんだよ。
今や主人公にはハイレベルな知能戦が求められる時代である。

 ……あれ。

 毎回、吸血鬼の回復能力にものを言わせたごり押しで戦っている僕は、
見事に時代に乗り遅れていた。




555 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 08:58:11.31 ID:tqPZ4U+DO

「そもそも、怪異転がしは不死身の怪異の専門家やし……
その方面なら負けへん自信があるけどな。
さすがに忍野くんみたいに、なんでもかんでも答えられるほど幅広くないわ」

 それもそうか。
 いなくなって分かるとはよく言う表現だけれど、
忍野って本当にすごいやつだったんだな。

「……影縫さんって、忍野と学生時代の知り合いなんですよね?
連絡とかつかないんですか」
「つかへんなぁ。そもそも忍野くん、携帯持たんし」
「ですよね」

 打つ手無しか、と諦めかけた瞬間。

 教室の隅で瓦礫を投げて遊んでいた斧乃木ちゃんが、
平然と、やっぱり平坦な声で、言葉を放ってきた。




557 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 09:05:42.81 ID:tqPZ4U+DO

「お姉ちゃん。僕、忍野っていうのは知らないけれど、
貝木っていうのとは今でも連絡つくんじゃないの?
――僕はキメ顔でそう言った」
「………貝木?」

 貝木泥舟。

 戦場ヶ原を騙した最初の詐欺師。

 全身黒ずくめの、「不吉」の具現者。

 本物の、偽物。

「せやな。ああ、鬼畜なお兄やんは貝木くんとも知り合いやったっけ。
貝木くん自体は怪異なんか信じてないいっぱしの詐欺師やから、
使い物になるとは思へんけど――ま、一応連絡してみるわ」
「ちょ……ちょっと、待っ……!」

 なんて僕が止めた時には影縫さんはもう携帯電話を操作して、
にっこり笑って僕に向けて差し出していた。




566 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 09:19:07.34 ID:tqPZ4U+DO
―――

「ほう、阿良々木か。
画面には影縫の携帯電話からの着信だと表示されていたと思うのだが、
どうしてお前が?」

 電話越しに、地の底を這い回るようなド低い声が耳に流れ込んできた。

 相変わらず、声だけでかなり不吉な響きである。
物凄く気分が滅入るからその喋り方はやめてほしい。
面と向かって聞くとあるいは威圧されているようにも思える貝木は声は、
電話口だと自殺する五秒前と言われても信じられるくらいの異様さだ。

 まあ、こいつがいきなりフランクに話してきたらそれはそれで不吉だけれど。




568 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 09:27:38.14 ID:tqPZ4U+DO

「いろいろ事情があってな……そんなことよりお前、
僕らの前で携帯へし折ったはずだろ。
聞いた話じゃお前と影縫さんが最後に会ったのって半年以上前らしいじゃねえか。
そんなお前が、どうして影縫さんの番号を登録した携帯電話を持ってるんだよ」
「ふっ……」

 貝木は小馬鹿にするように息を漏らすと。

「阿良々木。今回の件からお前が得るべき教訓は、
詐欺師が自らに不利な条件を抵抗せずに承諾する時というのは、
その条件は実は詐欺師にとって不利にはなりえない時だということだ」
「てめえ……」

 バックアップ用の携帯でも隠してたのか。
 さすが詐欺師である。
 死んでしまえ。




569 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 09:35:23.98 ID:tqPZ4U+DO

「いいか、阿良々木。詐欺師はいついかなる時でも詐欺師だ。
相手が詐欺師の場合、すべての言動を疑ってかかれ。
詐欺師が真実を言うのは、金を積まれた時だけだよ」
「嘘つけよ、てめえ。
僕が金積んで影縫さんたちの情報を聞き出した時、
実際会ったことはないとかほざいてただろうが」

 電話番号交換して、
未だに連絡が取れるようにしているくらいには仲良しさんじゃねえかよ。

「俺の望む額に、お前の積んだ額は届いていなかったとでも解釈しておけ」
「…………………」

 くそう、腹立つ。

 おい、忍野。
 忍野関連の知り合いはろくなやつがいねえぞ。




570 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 09:38:58.65 ID:tqPZ4U+DO

「それで? 阿良々木、今回はいくら払う」
「まだなにも言っていないうちから、
金をふんだくる話を始めるんじゃねえ!」
「商談は常に有利に進めるため、先手を取るのは常識だろう。
今回の件からお前が得るべき教訓は、
詐欺師を相手にするときは絶対に先に喋らせないことだ」
「どうでもいいけれど、お前、電話だと割と饒舌なのな」
「何を言う。俺は元々饒舌なほうだ」
「はあん」

 どうでもいい。

 平均的なミドリガメの時速の次の次の次くらいにどうでもいい。




573 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 09:49:19.51 ID:tqPZ4U+DO

「とにかく、お前に訊きたいことは一つだ。
金は――えっと、今手持ちで財布には1万円ある」
「なるほど、少なくとも1万3000円ほどは持っているな。
ならば1万5000円でいい。
俺が知っている情報なら、素直に一切の嘘をつかずに答えよう」
「………………」

 あっさり嘘を見破られた上に、まったく信用できない。
何が素直に、だ。

 つーか本当の手持ちが1万5000円って、ぴったり当てやがった。
 怖すぎる。

 しかし現状、頼れる相手はこいつしかいないのだった。




574 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 09:54:06.60 ID:tqPZ4U+DO

「……くそ、分かった、それでいいよ。
ただし、お前が情報を知らなかったりガセだったりしたら絶対に払わないからな」
「勿論だ。
俺は詐欺師だが、報酬はきちんと騙してとった金でないと
俺のポリシーに反する」

 そんなポリシー、命と一緒に溝に捨てちまえ。
 つーかお前、手負いの火憐から財布掻っ払うとかいう
ただのかつあげみたいなことしたんじゃないのか。

 まあ、いいや。
 僕はゆっくりと息を吸い込むと、言った。

 貝木に頼むのは、ただ一つ。
 絶対的な、願いだ。

「僕は――」

 僕の、願いは。


「――忍野と連絡が取りたい」




577 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 10:15:52.91 ID:tqPZ4U+DO

 008

「袋青狸」

 電話越しで聞こえた、懐かしい、本当に懐かしくて、
軽薄で小馬鹿にするような態度のくせに誰よりも頼もしい声に、
ほとんど泣き出しそうになりながら僕がなんとか事の顛末を説明し終えると、
忍野はきっといつものようにちょっとだけ悩むような仕草をしたのだと
スピーカーを挟んでいても分かる間な取り方をして、
一度「そうだね」と呟いてから、そう結論を出した。

「知らない間に人の部屋の襖の中に住み着いて、
どら焼きを要求しまくる耳が無い狸の怪異さ。
毛の色は青で、人語を解し、ぐふふふふぅと不気味に笑い、
思春期の少年に怪しいアイテムを渡すことで楽をすることを覚えさせ、堕落させるんだよ」
「………忍野、僕、久しぶりのお前の声に、
感極まって泣きそうにすらなっていたんだけれど、どうしてくれる」

 本気で相談してんだぞ。
 ドラえもんの話なんか聞きたくねえんだよ。




579 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 10:18:49.57 ID:FjISYo9O0
ドラえもんwwww




580 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 10:25:45.86 ID:tqPZ4U+DO

「はっはー。相変わらず阿良々木くんは元気がいいなあ。
何かいいことでもあったのかい?」
「ねえよ。一つもねえよ。
頼みの綱のお前にも、せっかく作ったシリアスムードもぶち壊しにされたしな」
「まあ、そう怒るなよ。
僕だってせっかく新しい拠点での生活に慣れてきたっていうのに、
いきなり全然キメ顔じゃないキメ顔ちゃんが訪ねてきたと思ったら、
前の町で知り合った友達から『女の子にモテてモテて困る』って相談されたんだぜ?
厭味の一つだって言いたくもなるさ」
「いや……モテるとかそういう話じゃねえよ。
僕の話の、一体何を聞いてたんだ」

 僕がそう呟くと、忍野は唐突に黙った。

 え、なんだよ。
 僕、なんか変なこと言ったか?




584 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 10:34:38.20 ID:tqPZ4U+DO

「いや……そうだね。阿良々木くんはそういうやつだった。
阿良々木くんみたいな女の子の敵は、みんな死んでしまえばいいのにな」
「なんでそんなわけの分かんねえ理由で、
いきなり死ぬことを願われなくちゃならないんだ!?」

 どちらかと言えば、女の子の味方だぜ、僕。

 妹と八九寺にはセクハラし放題だけれど。

「……ま、いいや。
阿良々木くんのそれは、今に始まったことじゃないしね」

 やれやれ、みんな苦労するだろうね、とかんとか呟いて。

「じゃあ、仕切り直しにしようか」

 忍野はわざとらしく、こほんと咳払いをした。




586 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 10:41:22.36 ID:tqPZ4U+DO

「八股狸」

 で、忍野が改めて、いつものような口調で短く発したのは、
そういう怪異の名前だった。

「まあ、電話越しじゃあ、そこまで詳しい状況とかを聞けないから
以前ほどはっきりとは言えないんだけれど――昨日の夜、阿良々木くんは、
あの百合っ娘ちゃんにも聞こえない祭囃子を聞いたんだろ?
だったら少なくとも、狸の怪異であることは間違いないよ」

「………狸、か」

 懐かしい語り口に溢れ出る涙を堪えて、かろうじて言った。

「そう、狸」

 忍野は小さく繰り返す。

「狸だよ」




589 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 10:45:39.49 ID:tqPZ4U+DO

 狸。
 ネコ目イヌ科タヌキ属に分類される哺乳動物。
 短い足と太い尾を持ち、目の周りと足の先が黒い。

「そもそも一般的に、人を化かす動物っていうと狐が一番って思われがちだけれどね、
一説じゃあ、化ける能力は狸のほうが上なんじゃないかって話もあるんだよ。
狐の七化け狸の八化けって言葉があるくらいだし
――って、阿良々木くんは知らないかな」

 あくまでいつもの調子の忍野。

 あくまで、僕を小馬鹿にするような――優しい悪態。




592 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 10:49:49.10 ID:tqPZ4U+DO

 忍野。

 忍野メメ。

 怪異関係の専門家。オーソリティ。

 旅から旅、町から町の根無し草。

 僕や、戦場ヶ原や、八九寺や、神原や、千石や、羽川――春休みから夏前までの間、
この町で怪異に関わったそれらすべての人間の恩人。

「……ああ、知らないな」

 僕が素直に答えると、忍野は「だよね」と笑った。




595 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 10:53:41.57 ID:tqPZ4U+DO

 結論から言って、貝木は忍野の居場所を知っていた。

 なんでも忍野がこの町を去り、貝木がこの町に向かう間のとある場所で、
偶然出会ったそうである。
その際に、忍野がこれからしばらく活動拠点にする予定の場所を、
何かで金に変わる可能性があるかもしれない情報として聞き出していたらしい。

 そこは僕の町からは結構距離がある場所だったのだけれど、
そこは斧乃木ちゃんの式神としての面目躍如。
リハビリの一環だとか言って、影縫さんの携帯電話を持たされた斧乃木ちゃんが、
凄まじい速度でそれを忍野に届けに行った。
本気を出せば、100メートルを1秒未満で疾走できるらしい。
式神すげえ。


 とにかくその結果、こうして僕は僕の携帯電話を通して、携帯電話を持たず、
それどころか使い方さえも分からないような旧友・忍野と会話をすることが出来るのである。

 ちなみに僕のなけなしの1万5000円も斧乃木ちゃんに持たせた。
帰りに貝木のところに寄り、渡してもらうという約束だ。




598 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 11:01:47.16 ID:tqPZ4U+DO

「ま、ともあれ今は、八股狸の話だ。八股狸ってのはね、阿良々木くん。
愛媛県の今治市のとある村に伝わる怪異の名前だよ。
境内の山桃の木に、八本の尻尾を持った狸が住んでるって話さ」
「愛媛県?」
「うん。愛媛県ってのは、なんでか知らないけれど、
狸に関する言い伝えが割とたくさんあったりするんだよね。
例えば、そうだな。有名なおみつ狸の話なんかも愛媛なんだけど……
当然のように、阿良々木くんは知らないよね?」

 やっぱりいちいちムカつく話し方をするやつである。

 まあ、知らないんだけど。




600 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 11:10:39.07 ID:tqPZ4U+DO

「おみつ狸ってのは、あるおじいさんの前に美人の女の人が現れたんだけれど、
尻尾みたいなのが垂れていたから火で炙ったら、
雑魚を狙った狸だったって話さ。
ま、それは今は置いておいて」
「ああ。八股狸だ」
「うん」

 忍野は頷き。

「とは言っても、八股狸はちょっとばかり特別な怪異でね。
ううん、どう説明したらいいのかな。
八股狸は、逸話と怪異の性質が違いすぎるんだ」
「性質?」

 どういう意味だ?

「そう。八股狸はそもそも、村の守り神なんだよ。それ以上でも以下でもない。
ただ八股の狸が境内に住んでいて、村人たちを守っていたってだけの、
ろくなストーリー性もない伝承なんだよね」
「……それはおかしいだろ。
こっちは明らかにおかしくなった人間が存在するんだから、
今回この町にいるのが八股狸だっていうんなら、
それに見合った説話がないと辻褄が合わないんじゃないのか」

「その通り。阿良々木くんもなかなか分かってきたね」

 なんだか全然誉められている気がしない。




602 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 11:17:08.12 ID:tqPZ4U+DO

「八股狸を怪異として見るときに重要になるのは、
説話じゃなくて――名前なんだよ」
「……名前?」
「そう、名前。
この怪異はね、八股狸の言い伝えそのものじゃなくて、八股狸って名前から怪異が派生したんだ。
ほら、二人の異性と同時に付き合うことを、二股をかけるって言うだろ?
あれと同じで、八股狸は――八人の異性に同時に好かれた人間が、憑かされる怪異だ」
「はあっ?」

 自分でもびっくりするくらい間抜けな声が出た。
危うく携帯電話を取り落としそうになる。

 みんなが僕のことを好きだって?

 そんなアホな。




606 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 11:27:56.90 ID:tqPZ4U+DO

「忍野、またふざけてるんだったら早いところ――」
「ふざけてなんかいない」

 ぴしゃりと言葉を重ねられる。

「僕は至って真剣だよ、阿良々木くん」
「…………………」

 確かにその声色には、ふざけた様子は感じとれない。

 いや、でも、なあ。

 八人の異性に好かれている?

 今日会った異性と言えば、ファイヤーシスターズ、八九寺、戦場ヶ原、神原、千石、羽川に、忍で八人か。

 まあ、影縫さんと斧乃木ちゃんは別枠として。
だってこの二人には、絶対に、確実に、何があっても好かれてないということくらい、さすがの僕でも分かる。
斧乃木ちゃんに至っては、忍にボコられたこともあるし、むしろ嫌われてるんじゃないかとも思う。




614 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 11:38:14.72 ID:tqPZ4U+DO

「勿論、阿良々木くん。
この場合の好意ってのは、何も恋愛感情の話とは限らない。
恋愛感情の好意を寄せている人間は、少なくとも一人いればいいのさ」
「そうならそうと先に言えよ……」

 無駄に動揺しただろうが。

 それだったら、僕だって心当たりはある。
その人だけは、僕に向けて確かに恋愛感情を向けてくれていると、
自惚れも含めて断言することができる人物が、たった一人だけ存在するからだ。


 戦場ヶ原ひたぎ。


 彼女からの好意は、確かに惚れた腫れたの好意に違いない。

「あー、あー、ああー!
なーんか阿良々木くんが阿良々木くんのくせにのろけたこと考えてるのが電話越しでも伝わってくるよ!
嫌だ嫌だ、幸せな阿良々木くんなんかさっさとこっぴどくフラレて死んじゃえばいいのになぁー!!」
「………忍野、お前なんかやさぐれてないか」

 この町を離れて何があったんだよ。
 ちょっと心配だ。




620 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 11:47:29.77 ID:tqPZ4U+DO

「つまりだよ、八股狸が発生する条件ってのは、簡単に言ってしまえばこういうことだ。
ある一組のカップルがいて、そのどちらかのことを、
恋愛感情でも、家族としてでも、単純な友情でもいいから好意を寄せる七人の異性がこう願えばいいのさ。
『もっと自分のこともかまってほしい』ってね」
「はあん……」

 なるほど。
 そういう話か。
 確かに戦場ヶ原がデレた喜びで、もうここしばらくはずっと、
僕は戦場ヶ原フィーバーだったけれど。

「もっとも阿良々木くんの場合、
何だかんだで恋愛感情要因ばっかりな気がするけどね」

 なんだか拗ねている忍野は、この際無視することにした。




622 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 11:54:34.15 ID:0Z8b5KaP0
忍野「僕もその8人のうちに入ってるんだけどね」




623 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 11:56:35.98 ID:tqPZ4U+DO

「それで、忍野。
八股狸が現れる条件については分かったけれど、
結局のところ八股狸ってのはどんな怪異で、今回は誰が憑かれてんだよ」
「ん? なんだ、ここまで説明してもまだ分からなかったのかい?
相変わらず阿良々木くんは愚鈍だなあ」
「………………」

 忍野含め、大人なんかみんな大嫌いである。

「まさか自覚がないとは思わなかったよ。
いいかい、阿良々木くん。
分からないのなら仕方ないからわざわざ言ってあげるけれど、
今回八股狸に憑かれているのは――君自身だよ」




626 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 11:59:53.88 ID:tqPZ4U+DO

「………はあ?」

 忍野の言葉に、僕は首をかしげる。

「じゃあ、僕が八股狸を呼び寄せたってことかよ。
だってそれじゃ、僕が戦場ヶ原以外の女の人といちゃいちゃしたいとか思ったから、八股狸が来たってわけだろ?
忍野、専門家の意見を否定するのは心苦しいけれど、そんなわけないぜ」

 そりゃあ、勿論好意を持ってはいるけれど。

 ファイヤーシスターズは妹として。

 八九寺や神原は友達として。

 千石は妹的存在として。

 羽川は命の恩人として。

 忍は相棒であり、自らの罪として。

 あくまで僕が恋愛感情を持ってして愛していると言えるのは、戦場ヶ原だけだ。

「そういう小っ恥ずかしい台詞はさ、僕じゃなくて、ツンデレちゃんに直接言ってあげなよ」
「断る」

 昔の戦場ヶ原に言っても当然あれだったけれど、
今のドロドロな戦場ヶ原にこんなことを言ったら、
原形を留めなくなるかもしれなくて怖い。




627 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 12:10:21.94 ID:tqPZ4U+DO

「クソ阿良々木くんのクソみたいなクソのろけはおいてといて、
だから言っただろ、八股狸は特殊なんだ。
さっきちらっとそれっぽいニュアンスは出したんだけれど――」
「おい、忍野。言葉遣い言葉遣い」

 気をつけろよな。
 お前までおかしくなったのかと不安になるから。

 忍野はそんな僕の忠告に反応もせず、続けた。

「八股狸は憑かれる怪異じゃなくて――憑かされる怪異だぜ?」




628 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 12:11:10.61 ID:tqPZ4U+DO

 つまり。

 八股狸とは、本人の意思に関係なく、
条件が揃えば無条件で、八人の異性によって憑かされてしまう怪異らしい。
 その効果は単純で、件の八人の異性の中の好意のメーターを爆発的に跳ね上げて、
強制的に八股状態を生みだそうとするというもののようだ。

 ファイヤーシスターズの色仕掛けも。

 八九寺真宵の弱音の吐露も。

 戦場ヶ原――はいつもとあんまり変わらなかったけど。

 神原駿河の唐突な羞恥心も。

 千石撫子の異様な病み方も。

 羽川翼のブラック羽川解放も。

 忍野忍の大胆発言も、すべて。

「僕の中にいる怪異が原因ってことか」




632 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 12:22:56.63 ID:tqPZ4U+DO

「怪異が原因とか怪異の仕業とか、そういう言い方は好きじゃないけれどね」
「怪異はただ――そこにあるだけ」
「そう。だってさ、そもそも八股狸は彼女らの感情を振り切らせているだけなんだから、
さすがにそこまで過激ではなくとも、
彼女らが似たような願望を持っている可能性は否定できないんだぜ?」

 勘弁してくれ。
 八九寺、神原、忍辺りは可愛かったけれど、
ファイヤーシスターズと千石と羽川は割と洒落になっていない。

「とりあえず、八股狸のことは分かった。
分かった上で、忍野。こいつは一体どうすれば祓えるんだ?」
「まったく気が早いよ。相変わらず阿良々木くんは元気がいいなあ。
何かいいことでもあったのかい?」

 早くねえ、むしろ遅いくらいだ。
こっちはマジで千石に殺されかけてんだよ。




633 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 12:30:00.82 ID:tqPZ4U+DO

「ま、八股狸自体は非常にマイナーな怪異だし、ランクも下級中の下級だ。
祓い方は今までに類を見ないくらいに簡単だよ」

 忍野は、くあ、と欠伸をしたような気配をスピーカーの向こうで漂わせ、続けた。

「狸ってのはさ、実は物凄く臆病な動物なんだよね。
狸寝入りってそもそも、当たってもいない猟銃の音にびっくりして気絶しちゃう狸の習性から出来た言葉だし」
「………それがどうしたって言うんだよ」
「うん? つまり、狸の怪異は得てして祓いやすいってことだよ、阿良々木くん。
どんな大物の怪異だろうと、相手が狸なら大抵この方法でなんとかなる」

 そんな方法があるのなら早く教えて欲しかった。
 勿体振るのが好きなやつだ。




634 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 12:33:06.78 ID:tqPZ4U+DO

「で、その方法って?」
「阿良々木くん、さすがにカチカチ山の狸さんの話は知ってるかい?」
「そら、知ってるけれど……」
「うん。だから、そういうことだよ」

 カチカチ山の狸?

 あれってええと、どんな話だっけ。
確か老婆を殺した狸を成敗するために、兎が狸の背負った薪に――。

 !

「お……おい、忍野、まさか……!」
「さっきのおみつ狸の話でも言っただろ?」

 おみつ狸。
 炙ったら正体を見せた化け狸。

「八股狸を祓う方法は――火炙りだよ」

 はっはー、狸は火に弱いんだ、と心底楽しそうに笑う。




637 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 12:38:33.92 ID:tqPZ4U+DO

「う、嘘だろ!?」
「えらくマジさ。
阿良々木くん、忍ちゃんに血をやったのは十日前だって?
よかったじゃないか、それなら丁度、
大火傷くらいなら一瞬で治るくらいの回復能力だろ」

 待て。

 待てよ。

 火炙りだって?





639 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 12:39:43.87 ID:ig4kWlP60
あれは伏線だったのか




641 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 12:42:38.95 ID:tqPZ4U+DO

「あ、そうそう。
この方法はさ、予めこっちのキメ顔ちゃんには教えておいたから、
この子を通して影縫ちゃんにも伝わってると思うよ。
確かこの子たち、テレパシーみたいなことできるんだろ?
影縫ちゃんは、あれはあれでなかなかいい子だから……
はっはー――そろそろ、準備が整った頃じゃないかな」

 がこん、という物音に振り返ると。

「あ、鬼畜なお兄やん。忍野くんとの電話は終わったん?」

 教室の入り口で、灯油を入れた赤いポリタンクと、
山ほどの100円ライターを抱えた、影縫さんが――。

「ほな、始めよか」

 にっこりと、笑った。

「ちょ、ま………やめ、嘘だろ、なあ、忍野っ!
うわ、灯油くさっ……待っ……タンマ、影縫さん、タン……………
ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」




642 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 12:44:44.41 ID:ig4kWlP60
何故殺した




643 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 12:45:18.79 ID:Nn+YqckY0
これ忍野の私怨も入ってるだろwwwwwwwwwww




645 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 12:46:17.88 ID:ZxEPv9As0
ひでええwwwwwwwwwwww




648 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 12:56:05.51 ID:tqPZ4U+DO

 009

 後日談というか、今回のオチ。

 翌日、いつものように二人の妹、火憐と月火に叩き起こされた僕は、
ファイヤーシスターズがどうやらいつも通りであり、
昨日の記憶がぼんやりしているといぶかしむ様子を見て安心すると学校に行き、
同じように自らの記憶の欠如を訴える羽川には、
ブラック羽川が現れたけれどそれは羽川のせいではなく僕の憑かれた怪異のせいであることを説明し、

「物凄い回転でコンクリートの地面にぶつけたみたいに後頭部が痛いんだけど、
もしかして阿良々木くん何か知らない?」

 と言う羽川はやっぱり怖すぎると思いつつなんとか誤魔化して、
放課後、家に寄っていかないかという旨のキュン場ヶ原さんの必死の誘いを泣く泣く断ると、
昨日の忍との約束通り、ミスタードーナツにやってきていた。




653 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 13:09:25.58 ID:tqPZ4U+DO

「かかっ、どうやら火炙りは楽しかったようじゃの、お前様」
「んなわけあるかよ……」

 足をぱたぱた落ち着きなく動かしながら、
もふもふとエンゼルクリームを頬張る金髪幼女を見つつ、ため息を吐く。
全身大火傷しては治り、大火傷しては治りを一時間くらい延々と繰り返したんだぞ。
楽しいわけがない。

 ところで昨日、全身全霊で高笑いしながら、
本当に楽しそうに散々僕を焼いた影縫さんは、
どうやら斧乃木ちゃんが今回の仕事――というか忍野と貝木のところへのお使いでスランプを抜けたらしく、
二人揃って町を出ていった。
安いスランプである。

 その一方で見事に服ごと燃やし尽くされた僕は、
朝持ってきて隠しておいた寝間着を着て家に帰ったのだった。
 ……みみっちい伏線だ。




654 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 13:11:32.02 ID:FjISYo9O0
ちょwwwせめて服脱いでから焼いてやれよ影縫さんwwwww




655 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 13:15:39.09 ID:F5G38s7o0
なんとそんな伏線が




656 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 13:18:53.57 ID:tqPZ4U+DO

「はあ……」
「なんじゃ、せっかくこの儂とデートしておるのじゃぞ、
ちーぃとは楽しそうにしたらどうなんじゃ」
「………おい、僕のオールドファッションを勝手に食うな」
「もふっ! ……美味い!」

 まあ、いいか。

 忍から視線を外し、ミスタードーナツの店内をぼんやりと見やる。
超速再生と灼熱焼失の繰り返しのせいで、まだ身体が火照っている気がした。

「……………はぁ」

 落ち着いた音楽の流れる店内。
レジの方では、若い女店員たちがちらちらとこちらを見ては、
忍がドーナツにかじりつく度に黄色い悲鳴を上げていた。




660 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 13:31:45.75 ID:tqPZ4U+DO

「有名になっちゃったしなあ……」

 髪を染めている人すらいない田舎の町で、
めちゃくちゃ目立つ容姿と言動の忍を連れて何度もミスタードーナツを訪れていたせいで、
すっかり有名になってしまい、今では女子中高生の間で
忍はおみくじみたいな扱いすらされているらしい。

 ミスタードーナツに行って忍に会えたら、一週間運気急上昇なんだってよ。

 常時忍を影に潜ませている僕は、運気急上昇どころか完璧に焼かれたぞ。




665 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 13:41:10.77 ID:tqPZ4U+DO

 なんてぼんやり考えていると。

「八股狸」
「………うん?」

 不意に、忍が件の怪異の名前を口にした。

 視線を向けると、口の周りをべとべとしにた元吸血鬼の、
ぞっとするほど真剣な瞳とかち合う。

「ほら、お前、威厳もなにもあったもんじゃねえぞ」
「………ぅぎゅっ」

 ナプキンを取って口の周りを拭いてやる。

「んみ、…………むっ……んぅ……や、やめんかっ、それくらい自分で出来るっ!」
「当たり前だ」

 出来なくてどうする。




667 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 13:52:14.57 ID:tqPZ4U+DO

「まったく、お前様は時折、儂のことを勘違いしたような態度を取るの」
「別に、勘違いはしてねえよ」

 忍野忍の立ち位置は、ちゃんと分かっている。

 僕の従僕で。

 僕の主人で。

 人類の味方でもなければ敵でもない――500歳の貴族の吸血鬼の一欠片。

「ただ少なくともミスタードーナツに来ている時だけは、
お前はただの生意気な八歳児だ」

 ぱないの! とか言うしな。
 小さな手で不器用に口元を拭う忍は、やや不満そうに口を尖らせる。



669 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 13:59:08.71 ID:tqPZ4U+DO

「で? 八股狸が、なんだって言うんだよ」
「うむ。あの小僧から八股狸に関して聞いた話を、今更ながら思い出しての」

 忍の言う「あの小僧」とは、忍野メメのことである。

「おそらくじゃが、お前様よ。
この話、まだまだ厄介なことになるかもしれんぞ?」
「厄介なこと?
……あ、おい、それは僕のフレンチクルーラーだ!」
「もきゅもきゅ」

 二人で5個ずつ買ったのに、忍はもう7個目である。

「んぐ……うむ。厄介なことじゃ」
「なにナチュラルに続けようとしてやがる、僕のドーナツ返せ!」
「嫌じゃ」

 んべ、とザクロみたいに真っ赤な舌を出す忍。

 お前、そんなことするやつが、どの口で儂のことを勘違いしておるとか言ったんだよ……。




672 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 14:05:31.51 ID:tqPZ4U+DO

「それで、話を戻すが、厄介なこととは八股狸に惑わされた者の記憶じゃ」
「記憶……?」
「うむ。元委員長はレアケースとして、
よいか、八股狸に惑わされた者には、その間の記憶が残る者と残らぬ者がいる。
残る者は元々怪異についてその存在を認識している者で――残らぬ者は、その逆じゃ」

 怪異を知る者と、知らない者。

 なるほど、そうなると確かにファイヤーシスターズは昨日の記憶はすっぽり無くしているはずだ。
羽川は障り猫のシステム上、ブラック羽川時の記憶は残らないから例外として。




677 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 14:09:10.76 ID:tqPZ4U+DO

 だから忍とはこうして八股狸の話ができるのだ。

「で、それのどこが厄介なんだよ」
「分からぬか?
つまり蝸牛の娘とエロ娘と照れ娘には、あの間のおかしくなっていた記憶が残るのじゃぞ?」

 うん。
 だから、それの何が厄介なんだ。

「あいつらには怪異のせいだってちゃんと説明してやればいいだけだろ?
確か今日、神原は千石と会うみたいなことを戦場ヶ原が言っていたから、
神原にメールを入れておけばいいか。
八九寺は、まあ、会えたときに説明するとして」
「はあ。お前様は本当に阿呆じゃ。
小僧が愚鈍だと馬鹿にするのも分かるわ」
「………あん?」

 忍が僕の最後のフロッキーシューを食べようとする手をたしなめながら、
携帯を取り出し神原にメールを送信した。




679 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 14:13:00.67 ID:tqPZ4U+DO

「これでよし、と」
「なんて送ったのじゃ?」
「んー、お前らがおかしくなってたのは怪異のせいだ、ごめんって」
「……ちゃんともう祓ったと付け加えたほうがよいと、儂は思うがの」
「いや、この文脈なら分かるだろ」

「……ま、お前様がよいなら儂は文句は言わん」

 フロッキーシューを半分に割って渡してやると、
忍はぱくりと食い付きながら続けた。

「ところでお前様よ、あの小僧に言われたことはどう思っているのじゃ?」




681 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 14:16:07.07 ID:tqPZ4U+DO
「忍野に言われたこと?」
「あの娘御みんなが、お前様のことを好いておるという話じゃ」

「ああ。お前、そんなの気にしてたのか。
いいか、忍。冷静に考えろよ、そんなことあり得るわけがないだろ?
僕は元ぼっちの根暗野郎だぜ。
好きになる要素なんてまったくねえよ」
「元じゃなくて今もぼっちじゃろう」
「…………………」
「女御ばかりに現を抜かしおって、クラスに男の友達は一人もおらんし。
ぶっちゃけ、同性から一番嫌われるタイプじゃ」
「…………………」

 死にたい。

「ま、お前様が一生ぼっちなのは置いておいて」
「今、一生っつったか?
見てろよ、大学デビュー決めてやるからな!」
「うざい」

 なんだか忍が冷たい。
 あんだけ焼かれた後くらい、優しくしてくれよ。




688 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 14:24:47.06 ID:tqPZ4U+DO

「で、お前様よ。
お前様は別に、あの娘御たちから好かれておらんとは限らんのではないか」

 忍はにやにやと笑いながらそんなことを言う。

「少なくともあの娘御たちにとって、お前様は命の恩人じゃろう。
それに、自分が自分に下した評価ほど当てにならないものもあるまいて」
「まあ……確かに一理あるけれど」

 人間が一人の人間として自らのことを語る際に、そこから主観を取り除いたら、
他のどんな他人を語るよりも情報が少なくなるのは、ある意味当然である。

「自分のことほど主観に頼って捉えていることなぞ、普通、ありはせんしの」

 忍は、ぺろりと口元のクリームを舐めとって笑う。




691 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 14:27:32.76 ID:tqPZ4U+DO

 そう。

 他人の目から見えている自らの姿形を見ることは、
鏡をもってしても絶対に不可能であるのと同じように。

 他人が聴いている自らの生の声を聴くことは、
録音機器をもってしても確実に不可能であるのと同じように。

 鏡を通した自分はあくまで虚像でしかないし、
スピーカーから排出される自分の声は、頭蓋骨の振動によって聞こえる自らが認識している声とも、
生の空気の振動で伝わる声とも異なっているのは――今更、言うまでもない。

「じゃから、あの娘御たちも――あるいは儂も、
お前様をこっそりと愛しているという可能性は、否定できんじゃろう?」
「はあん………そうかね」

 そうは思えないけれど。

 特にお前なんか、僕のことを殺したいほど憎んでいて当然なわけだし。




693 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 14:34:48.72 ID:tqPZ4U+DO

「まあ、でも、いい機会にはなったかもな」
「ん?」
「自分が、周りにどんな風に思ってもらえているのか、
改めて考えてみるいい機会にはさ」
「………ふん」

 つまらなそう鼻を鳴らす忍は、しかし窓の外を見て、にぃい、と口元を歪める。

「どうした?」
「見てみるがよい。お出ましじゃ」
「…………なっ、……にい?」

 店舗の外には。

 さっきメールを送ったばかりの神原駿河が、
千石撫子をお姫様抱っこしたまま走ってきていた。

「………なあ」
「なんじゃ?」
「あれさ……千石、何か持ってない?」
「持っておるの」
「銀色の……」
「のこぎり、じゃの」

 なんでだよ……なんでなんだよっ!?




698 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 14:49:20.62 ID:tqPZ4U+DO

 ぞくぞくとした寒気が沸き上がる。

「お、こちらに気付いたの」
「ばっ……馬鹿忍、お前なに笑顔で手ぇ振ってんだ、逃げるぞっ!」

 僕は忍を小脇に抱えると、全速力で外に飛び出し、
神原と千石の位置から逆方向へと走り出した。

「阿良々木先輩、どうして逃げるのだ!」
「ま、待ってよ、暦お兄ちゃん!」
「うるせえ、誰が待つか!
つーか千石、なんでお前のこぎり持ってんだよ!?」
「え!? な、撫子は別に、暦お兄ちゃんの足を切り落としたいなんて思ってないよっ!?」

 僕もそんなこと言ってねえ。

「仕方ないのだ、阿良々木先輩! これは私達の意思じゃない!」
「そうだよ、暦お兄ちゃん! これは怪異のせいなんだよ!」
「いやいやいやいやいや!」

 大爆笑する忍を抱えながら、町を走る。




702 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 14:57:35.63 ID:tqPZ4U+DO

「忍、てめえこうなることが分かってやがったな!」
「いや、まさかここまで見事になるとは思っておらんかったがの。
あの娘御たちのことじゃ、どれだけ全力でお前様に迫っても、
そのすべてを怪異のせいにできる状況があると言われたら、
行動を起こさないわけはないと思っておったわ」
「ふざけんな、そういうことは先に言え!」

 なんてやっているうちに、追いかけてくる足音が真後ろに近付く。

 いや、無理だって。
 いくら千石を抱えていようと、神原の足に勝てるわけがない。

 その神原の、嬉々とした声が鳴る。

「阿良々木先輩にも穴はあるのだよなっ!」

 なんか聞こえた。

 聞こえちゃった!

 やべえ、マジで逃げなきゃ!




707 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:01:07.41 ID:esG3qqAKP
やっぱメールが仇になったかwwww




710 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:05:33.00 ID:tqPZ4U+DO

 走りながら、思う。

 阿良々木暦。

 私立直江津高校三年生。

 薄くて弱い性格。

 吸血鬼――もどきの人間。

 人間――もどきの吸血鬼。

 そんな僕にとっての、ちょっとした不協和音。
阿良々木暦という存在が、他人に――彼女たちにどう思われているのか、
主観を省いて考えなおすきっかけになった、慌ただしい日。




714 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:10:41.83 ID:tqPZ4U+DO

 だから、ちょっとくらいは深刻な話もあって。
 ほんの少しだけ傷付いた人もいるかもしれないけれど。

 さしずめ食玩に申し訳程度についているラムネのような。

 あるいは新聞をとるとどうだとばかりに同封されるテーマパークのチケットのような。

 もしくは本屋で買い物をするとプレゼントしてくれる紙の栞のような。

 これは、そんな、本当にどうしようもなくて、
馬鹿馬鹿しくてくだらない、心の底から笑ってしまうような――。

「待つのだ、阿良々木先輩っ!」
「暦お兄ちゃん、待って!」
「ほれ、可愛い女御が二人もお前様を呼んでおるぞ。
止まってやったらどうじゃ」

「誰が待つかああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」



 ――狸に化かされた、ある一日の物語だ。





716 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:11:43.25 ID:tqPZ4U+DO

おしまい




717 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:12:27.38 ID:RzMEtYW3O
乙!すげぇ面白かったよ!




718 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:12:37.41 ID:U69krXhP0





737 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:19:18.39 ID:tqPZ4U+DO
今回は一日と半分くらい、こんな駄文に付き合っていただきありがとうございました。
なんとか完走できました。
あとどっかで言われてたけど、一応かれんバタフライの作者さんにも悪いので、
もう一度人違いだと否定しておきます。

前回はほぼ完全に書き溜めしてから投下したので、
今回は全体像と一部だけ作ってからの即興でやったら、
ちょっとエロい娘で終わるはずの千石が大変なことになって動揺しました。


で、デレ場ヶ原さん分が足りないって声があったので、
ちょっとしたオマケがあるんですが……需要ありますかね?




740 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:20:19.17 ID:hET3L8B90
需要あるとも
ぜひ頼む




741 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:20:24.43 ID:vVkR6dsk0
さっさと出せや




751 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:26:46.58 ID:tqPZ4U+DO

 戦場ヶ原ひたぎは、僕こと阿良々木暦の彼女である。

 戦場ヶ原ひたぎ。

 蟹に行き遭った少女。

 今や当初の原形などまったく留めていないほどにデレてしまったが――いや、勿論それは悪いことではなく、
当然のように大変喜ばしいことなのだけれど、ともかく戦場ヶ原は、元ツンドラだ。

 というか、正直、恐ろしいレベルの狂気をぎっちりと内包していたと思う。
普通、いくら自分の秘密がバレたからって、
話したこともないクラスメイトの口をホッチキスで閉じたりはしない。




755 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:30:37.06 ID:tqPZ4U+DO

 ともあれ、戦場ヶ原ひたぎ。

 ドロデレになってしまった今の彼女は、むしろ常時過剰なほどにデレすぎているようなものだが、
ならばツンドラ時代の旧戦場ヶ原が決してデレなかったのかと言われれば、
やはりというか当然というか、決してそういうわけではない。
もっとも、頻度こそ、低かったものの。

 と、言うわけで。

 そんな戦場ヶ原ひたぎのツンドラ時代のエピソードの一つを、紹介しようと思う。




761 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:38:54.58 ID:tqPZ4U+DO
―――

「ところで阿良々木くん、受験勉強は捗っているのかしら」

 ふと、すっかり忘れていた用事を思い出したみたいな気軽さで
戦場ヶ原がそんなことを言ったのは、
羽川の障り猫騒動リベンジが片付いてからしばらくが経った、
とある帰り道のことだった。

 戦場ヶ原は、このためだけにわざわざ朝から座布団を装備してきた僕の自転車の荷台に乗り、
おでこは僕の背中ぴったりとくっついているくせに、
腰に回した手だけはなんだか無意味に遠慮がちで、そわそわと落ち着かない。

 今日は珍しく神原がしつこく僕らに付き纏ってくることもなく、
戦場ヶ原といるからか八九寺の大きなリュックサックは見あたらず、
千石は以前のように僕を高校の門で待ってもいなかったし、
羽川は羽川で含みのある笑顔と共に見送ってくれた。

 まあ、つまり。

 久しぶりに、なんの心配もなく、二人きりの下校だった。




763 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:44:37.65 ID:tqPZ4U+DO

 正直。
 なんとなくと言っては失礼なくらい、ていうかぶっちゃけかなり露骨に、
僕のテンションはあがる。
そりゃあもう、あがっていた。ぐんぐん上昇。
エベレストのてっぺんなんか突き抜ける勢いだ。

 別にこのハイパーツンだらけ女、戦場ヶ原ひたぎとの間に、
なにかきゃっきゃうふふなイベントが起こりうることを期待していたわけでは勿論ないけれど、
僕だって一般的な男子高校生だ。
 付き合ってる彼女との下校に、なにか思うところがあったって、いいだろう。
特に最近は知り合いが増えたせいで、こうしてゆっくり二人きりになることが少なくなってきていたし。

 だっていうのに、それが分からない戦場ヶ原ではないだろうに――いや、あるいはだからこそ、
そんなことを言いやがるのだった。




764 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:48:57.84 ID:tqPZ4U+DO

「戦場ヶ原、いきなり勉強の話かよ……」
「あら、阿良々木くん。
私たち受験生の本分は遊びでも恋愛でも、
はたまた付き合っている異性とのいちゃこらに夢を膨らませることでもなく、
きっちりと勉学を修めて大学に合格することよ」
「そりゃそうだろうけれど……」

 いちゃこらって。
 表現が古すぎる。

「阿良々木くん、ちょっとこの前のテストがまぐれで、たまたま、、ついうっかり、ほんの出来心で、
調子が良かったからっていい気になっているんじゃない?」
「いや、いい気にはなってないけどさ……
つーか、『調子がよかったから』の前につく言葉のチョイスに
抑えきれない悪意が見え隠れしてるんだけど」
「カンニングの調子がよかったからって」
「ああ、理解した、100%悪意だ!!
もういろいろと泥沼だよ!!」
「池沼ですって?
いくらマントヒヒと同じくらいの知能レベルの阿良々木くんとはいえ、
そんなに自分のことを卑下するものではないわ」
「その略し方はモラル的にマズイからやめろ!
つーか戦場ヶ原が喩えに使うにしては、マントヒヒは比較的知能レベルの高そうな動物じゃないか!?」




767 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 15:59:38.50 ID:tqPZ4U+DO

「ねえ、阿良々木くん。
マントヒヒって、見てると楽しいわよね」
「マントヒヒが? うーん……なんで?」
「顔面ぐちゃぐちゃじゃない?」
「……何が言いたい」
「マントヒヒ野郎には、丁寧に最後まで言わなくちゃ分からないかしら」
「……いや、やめて」

 死んじゃう。

「阿良々木くんの顔面ってマントヒヒみたいにぐちゃぐちゃって意味よ」
「やめてって言ったのになんで言うんだよ!?」
「嫌よ嫌よも」
「嫌でしかねえ!」

 付き合っている彼女が、彼氏を顔面マントヒヒ呼ばわりである。

 戦場ヶ原ごと自転車を川に放り込んで逃げ出してしまいたい気分だった。
もうほんと、僕は僕が不憫で仕方ない。




770 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 16:13:03.59 ID:tqPZ4U+DO

「ありがとう、阿良々木タクシー」
「………いや、いいよ」

 その後もそんな調子で戦場ヶ原にいじめられているうちに、もう戦場ヶ原の家の前。
きゃっきゃうふふ? なんだそれ。生ゴミの日に出しとけ。

 戦場ヶ原は、もしかして僕のことを本当にアッシーくんとしてしか見ていないんじゃないだろうかと不安になった。

 ……そういや戦場ヶ原に告白された日って、マウンテンバイクでサイクリングしてた日だしなあ。
 マウンテンバイクに惚れたのかなあ。

「ところで阿良々木くん」

 すたっと華麗に自転車から降りた戦場ヶ原は、
しかしなぜか無意味に、その場でくるりと一回転した。
ふわりと舞った裾の長いスカートが、戦場ヶ原の動きの停止から一瞬遅れて、
ぱさっとその真っ白で綺麗な太ももに弾ける。
 絵になるなあ、なんてノロケてみたり。

「ん? どうした、戦場ヶ原。忘れ物でもしたのか」
「忘れ物。そう、忘れ物。忘れ物ね。
……阿良々木くん。あなた、忘れ物をしているわ」
「え?」

 僕が?

「明日提出の宿題とか、あったっけ」




772 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 16:22:21.72 ID:tqPZ4U+DO

 ところが戦場ヶ原はあくまで無表情に、首を横に振った。

「明日ではなく、今日。むしろ――今よ」
「あん?」

 わけもわからず唸った僕を、一瞬だけ恨めしそうに睨んだあと。

 戦場ヶ原は、目を閉じて。

 くいっと持ち上げた顎。

 すぅ、という呼吸。

 何かを待つような――濡れた、唇。

「あ? え、……えっと……戦場ヶ原?」
「本当に甲斐性無しね、阿良々木くん。
女の子に、皆まで言わせるつもり?」

 不満げな、そう、もしくは、拗ねたような、声。
よくできた麻薬のように、
僕の耳から入ってきて脳の底まで甘く甘く浸していく。

 そんな、錯覚。




777 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 16:35:44.58 ID:tqPZ4U+DO
「せ、戦場ヶ原……」

 こ、これって、つまり、あれだよな。

 ……いいのだろうか。

 いいんだよな!?

 僕は、戦場ヶ原の、本当に陶器みたいな、いや――それよりももっと綺麗で純粋な頬に手をあてて。
 ぴくっと体に力を入れた戦場ヶ原が、たまらなく愛しい。

 そして、僕は。

 ゆっくりと。

 唇を、重ねた。




779 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 16:45:10.15 ID:tqPZ4U+DO

「………、んっ………」
「………………」

 すっと、ほとんど怯えるみたいにして唇を離す。

「……………ぁ」
 
 目の前には、超至近距離に戦場ヶ原の顔。
 その黒く、夏の星空を丸ごと詰め込んだみたいな輝きに、言葉を失う。
心臓がばくばくと好き勝手に跳ねまくり、顔が真っ赤なのが自覚できた。

 う、うわ、……うわあ、僕、たぶん今、すんげえ情けない顔してるよ。
戦場ヶ原は戦場ヶ原で、やたら満足げに目を細めただけで、顔色一つ変えていないし。
 これじゃ僕だけ一人でテンパっているみたいじゃないか。




782 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 16:55:53.06 ID:tqPZ4U+DO

「ねえ」
「はっ、はいっ!」

 優しげな戦場ヶ原のに、びくんと体が跳ねた。

「阿良々木くん、今のこれは、なにかしら」
「え? え、えっと……」

 なにって?

 戦場ヶ原の望みそうな答えを必死で検索する。
 勿論ただのキス、というわけでもないだろう。
 あ、愛情の証?
 ………忘れ物。

「その、さよならの、キス……?」



786 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 17:03:05.64 ID:tqPZ4U+DO

「ふふ、そうね」

 どうやら正解だったらしい。戦場ヶ原はやんわりと頷いて。
 だけど、と続ける。
「『さよならのキス』って、私はあんまり好きじゃないわ」
「へ、へえ……どうして?」

 正直こっちは、心臓の痛さと顔の熱さでそれどころではないのだけれど。
 さっきまで触れ合っていた、
あの死ぬほど柔らかくて気持ち良いの唇で、優しく言葉を紡がないで欲しい。

「だって『さよならのキス』は、明日がないじゃない。
なんだかそのあと死に別れるドラマの最後みたいで――不吉だから」

 ふわりと。

 今度は戦場ヶ原のほうから、僕の頬を、ほとんど撫でるように挟んで。




795 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 17:13:02.75 ID:tqPZ4U+DO

 そうして。

 二度目の、キス。

「んむ………!?」

 じんじんと発熱するみたいな酷く甘くて淡い匂いが――戦場ヶ原の、匂いが、
はっきりと、僕の脳みそを、溶かした。

「………………」
「………………」

 長い。

 長い、キスだった。

 あるいは僕が勝手にそう感じただけで、本当はほんの一瞬だったのかもしれないけれど。

 けど、僕は、長い時間、そうしていたような気がしたし――そうしていたいとも思った。

 このまま、この一瞬のまま、時間が――世界が止まってしまえばいい。




798 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 17:24:55.28 ID:tqPZ4U+DO

 もう時間の感覚もなくなって呆然と固まる僕に、
熱の余韻を残すような艶めかしさで離れた戦場ヶ原は、
やっぱり相変わらずの無表情で、言う。

「今日は送ってくれてありがとう。
久しぶりに阿良々木くんとゆっくり話せて、楽しかったわ」

 そして、茫然自失の僕を置き捨て、
まるで何事もなかったようにさっさと家へと帰っていってしまう。

「な、………………」

 僕はといえば、もうなにがなんだか分からなくて。

 唇は甘く痺れていて。

 まだ戦場ヶ原の匂いがそこにあるような気がして。

 だから、そのまま立ち尽くしていた。
 戦場ヶ原がとっくに見えなくなったことにも。
自転車が倒れて制服の裾を削っていることにすら、気付かなかった。


 久しぶりに、なんの心配もなく、二人きりの下校で。


 僕たちは、『また明日のキス』をした。




801 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 17:26:37.55 ID:tqPZ4U+DO

本当におしまい




803 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 17:28:40.12 ID:bb0sjiZiO
再度乙




805 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 17:29:13.70 ID:0Z8b5KaP0
>>1
本当に乙!!!

ちなみに、これは「こよみラクーン」とかになるの?




813 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 17:32:54.69 ID:tqPZ4U+DO
>>805
001の最後にあるけど、一応
こよみラクーンドッグ
ってことにしてます
ドッグをつけるかは最後まで悩んだけど、
ラクーンだけだとなんかアライグマのニュアンスが強くなるかなあって気がしてラクーンドッグにしました
でも好きに呼んでやってください




809 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/02/21(日) 17:30:56.37 ID:tqPZ4U+DO

なんかただでさえオナニーなのに更にオナニー臭がくさいな、オマケ……
ドロデレ戦場ヶ原さんはやっぱり力量が間に合わないので、
ツンドラ時代のデレ場ヶ原さんでした
たぶんみんなドロデレを希望していたはずだから、期待には沿えてないと思う
ごめんなさい


もし次があるとするなら、一番好きな忍野メインの話の案が一つあるので、
需要と気力とがありそうだったらあるいはやるかもしれません
あくまでかもですので聞かなかったことにしてください
ただもし見つけたら読んでくださると大変調子に乗ります


では、最後に。

蛯沢真冬ちゃんは俺の嫁!!!!!!!









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コメント
この記事へのコメント
  1. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/14(日) 19:04: :edit
    1だぜ
  2. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/14(日) 19:10: :edit
    002getだぜ!
  3. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/14(日) 19:45: :edit
    なでこと忍かわいいなあ
  4. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/14(日) 20:13: :edit
    ふう…4か
  5. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/14(日) 20:26: :edit
    ウルフの人だな
    期待しながら読むわ
  6. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/14(日) 20:55: :edit
    ・・・6?
  7. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/14(日) 21:22: :edit
    7?
    撫子のラスボスっぷりに磨きがwww
  8. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/14(日) 21:56: :edit
    脳内再生余裕でした
  9. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/14(日) 22:15: :edit
    エビマヨwwエビチリと戦えwww
    乙!
  10. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/14(日) 22:30: :edit
    撫子かわいいよ撫子
  11. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/14(日) 22:34: :edit
    撫子さんマジパネェっす
  12. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/15(月) 00:49: :edit
    忍のふとももにおにんにんはさみたいよぉ
  13. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/15(月) 01:29: :edit
    >>622
    腐ってやがる…早過ぎたんだ…
  14. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/15(月) 09:58: :edit
    おれも忍野好きです!!
    次もがんがってください!!

  15. 名前: 通常のナナシ #- #-: 2010/03/15(月) 12:24: :edit
    腹筋が痛いww
  16. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/15(月) 13:22: :edit
    上手いねぇ
  17. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/15(月) 18:56: :edit
    久々に画面で長いの読んだなぁ。
    書いた人は勿論だけれど、まとめてくれたぷん太さんありがとう。
  18. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/15(月) 19:01: :edit
    傾物でたらもっと増えるかしら。
    偽物ova出たほうが浸透しやすいか。
  19. 名前: 通常のナナシ #8iCOsRG2: 2010/03/15(月) 23:49: :edit
    忍野メメ「ヒロイン十名の残り二枠、もしかして僕も入っているのか!?」

    暦「今までそこに引っかかってたのかよ!」

    メメ「あっ! じゃあ最後の一人はツンデレちゃんのお父さん!?」

    暦「ぜってーありえねー!!」
  20. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/16(火) 00:30: :edit
    ああ…面白かった
  21. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/18(木) 06:08: :edit
    久し振りに面白いと思えた
    というかこの人はよく分かってる

    まとめ乙!
  22. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/18(木) 14:43: :edit
    忍が一瞬アユムになったなw
    ってこん僕麻雀なんて誰もしらんか・・・
  23. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/03/20(土) 15:56: :edit
    完成度高すぎだろ
  24. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/04/05(月) 00:32: :edit
    今さら読んだぜ・・・
    ていうか前回の送り狼といい今回のヤツマタ狸といい、調べたら実在するんだな
    びっくりだ
  25. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/05/10(月) 22:05: :edit
    ※19
    それハルヒちゃんだろ
  26. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/06/21(月) 02:44: :edit
    真冬とは良い趣味してるじゃんねえか
  27. 名前: 通常のナナシ # #-: 2010/09/11(土) 14:04: :edit
    忍について、罪ってより業って言ってた気がするけどな…
  28. 名前: 通常のナナシ # #-: 2010/09/11(土) 14:27: :edit
    ほんとにあった、八股狸。
    すげえな、この作者。

    ドロデレを勝手に書かなかったところも素晴らしい。

    でもあんまり人いないんだな…化物はSSはメジャーじゃないか
  29. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/10/21(木) 18:19: :edit
    真冬は直己の嫁だろjk……それはともかく乙
  30. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/11/02(火) 21:26: :edit
    乙!

    こんなに力量高いのに観想少ないなぁ
  31. 名前: 通常のナナシ #-: 2010/11/14(日) 01:34: :edit
    >>戦場ヶ原ひたぎ。

    >> 彼女からの好意は、確かに惚れた腫れたの好意に違いない。

    oi
    羽川さんおい
  32. 名前: 通常のナナシ #-: 2011/01/31(月) 04:08: :edit
    なんというおもしろさ
    こんなのがタダで読めるとは良い時代だ
  33. 名前: 通常のナナシ #-: 2011/02/18(金) 18:43: :edit
    作者すげーな
    こんな面白い文章、オレもいつか書いてみたい
  34. 名前: 通常のナナシ #-: 2011/07/29(金) 14:46: :edit
    すげぇなこの作者


    マジ感動した
  35. 名前: 通常のナナシ #-: 2011/12/28(水) 23:54: :edit
    これはよかった
  36. 名前: 通常のナナシ #iiHp0eZw: 2012/01/23(月) 21:28: :edit
    どっかで読んだ文章だと思ったら、「ともやウルフ」の人じゃないか。
    あとがきの最後の嫁発言、ともやウルフでもしてたから一発で分かったわwwwww
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